女装と社会勉強
明けまして・・
いや、開けました。である。
このブログに引っ越して、荷物も開けず、窓も開けず、
いかにコロナ云々だからと言って、萎縮するにも程があろうと云うものだ。
で、新年のご挨拶がてら、記事を書こうと思った次第である。
当然、下のネタであり、下品である。
ボクのブログを読む方は、見た目は小綺麗でも、大半は下品である。
だから、上品ぶってニヤニヤできる程度の、小綺麗な内容を心掛ける。
電車やバスなどの公共の場所で、「わぁ」とならない程度に収めていこうと思います。
仕事の関係で、たまに、上品で小綺麗でナイスな男性ミドルを見掛ける。
物腰は穏やかで、口調も丁寧で、服装も華美にならず、野暮に落ちず。
何より笑顔が妖艶なのである。
趣味は「無趣味です」などと仰る。
こういう人にボクは、ピンとくる。
おそらく秘密の趣味を持っている。
そして、おそらく女装である。
誹謗ではない。
白髪を斑に汚く伸ばさず、よく見ればディープパープルに染めているナイスなミドル。その趣味は女装であると、昔から相場が決まっている。
女装趣味においては、変身セットを自宅に置けない。
趣味を公言できない。したくない。
趣味友達とも、三密の会員制の場所での秘密のお茶会でしか会いたくない。
外で会えば、趣味とは完全に切り離されなければならない。
そのくらい、慎重で奥ゆかしく、且つ、面白おかしい貴族の趣味なのである。
ボクは、若い頃、社会勉強と称して、秘密の園を見て回った。
社会科見学と云うやつである。
ブティックホテルで、色んな連絡をしてみたり、してみなかったり。
呼んでびっくりしたり、呼ばれてびっくりしたり、である。
『お疲れ様でぇす!今日は出張ですかぁ?』
「出張がてら、社会科見学です・・」
『わぁ、良いですねぇ。宜しくお願いしますぅ。』
宜しかったり、逃げたくなったり。
それも社会勉強である。
そういう中で、格のあるホテルの一室が、年間契約されていたりする。
ナイスなミドルしか入れないのである。
古い表現でいえば、三高揃って当たり前、のイケメンが名刺代わりの入り口である。
入り口をくぐった秘密の園の、ちょっと高級な自分だけのクローゼット空間。
さなぎを脱ぎ捨てたミドルは、レディーに孵化するのである。
ブランドのストッキングを身に着ける。
可愛いレースが惜しみなく意匠されている。
洗練されたカッティングのワンピース。
色はない。光源が勝手に織りなす玉虫色。
装飾は少ない。キラキラフリフリなどしない。
そういう服が持つ酸っぱい印象は、オスだけが作った下品な幻想である。
レディは華美を好まない。
変身を終え、社交場に現れるオッサン・・・否、淑女。
『やだぁ!ヒロタン、可愛いぃ!!』
『何そのワンピ!素敵ぃ!私にも貸してよ!』
自然にオネエになる。
レディの向こうには、いつもオネエがいるからである。
『やだ!貸さない!だいたい、着られないでしょ?』
『ひどーい!』
『しまむらの5Lでも着てなさいよ!』
『それじゃ、本当にババァになっちゃう(笑)』
などと言いながら、お互いに地毛をアレンジしつつ褒めあい貶しあう。
仕事抜きの社交辞令抜き。
性別を越え、人間かも怪しい生物が、本音の威嚇を交し合う。
ボクは、初心者はここからと勧められ、ストッキングだけを試した。
あぁ・・コレは危険だ。
コレだけなら、デニム穿いたら判らない・・・。
今なら、可愛い下着とか選べそうな気がする・・・。
パンストだけで寒くないのか、なんてもう思いません。
男がもっとパンストを穿けば、ホットパンツも女性だけのものではなくなる。
B’Zの歌い手だけが許される、あの乱暴に短く切ったデニムを、皆が楽しめる。
ブラのレースが下品だとか、もう思いません。
レースに美学があり、哲学があることを、もう疑いません。
よく見れば、髪をディープパープルに染めているナイスなミドル。
色味はない。光源が勝手に織りなす玉虫色の地毛。
それは、上品な女装を生かすための、控えめな主張なのである。
控えめすぎる普段の言動は、鮮やかに変身するための必要悪なのである。
これを読んだ女性陣は、気持ち悪いとお思いだろう。
さもあらん。
女性は、男の脳は、頭に入っていると思っている。
あれは見せ金だ。公の場で使われることはない。
普段の脳は、下半身の、あの、あたまでっかちの部分に詰め込まれている。
仕事中にもお構いなく、イケナイ発言をしてしまうのは、仕方ないのである。
男性が、男性たる部分の大きさに拘泥し続けるのは、仕方がないのである。
見えている大きな頭は、秘密の会合でしか使われない。
政治家が、料亭でしか大事な話をしないのは、そういう理由である。
見えている部分は、見えている間は、まず碌な使われ方をしない。
できないのである。
主要な部分は、社会勉強であり、社会科見学である。
社会科見学に出るときは、まず換気のために窓を開ける。
コロナとは関係なく、常に奥ゆかしい。
古来からひっそりと秘密裏に、静かに開けられる。
濁った常識を入れ換え、知らない価値観と云う世界へ繋ぐための窓。
ヘブンズドアでもある。
「社会の窓」と言われている。