ウツへの理解は期待しない方が良い
『頑張って・・って言っちゃ行けないんだっけ?』
言ったって良いのである。
言ったって良いのである。
『病は気からって言うじゃん?』
その気持ちが折れてしまったら、どう説明するのか?
その気持ちが折れてしまったら、どう説明するのか?
『身体が動かない?薬の副作用じゃないか?』
動かなくなり方が違う。
副作用で拘束するのは病院ぐらいだ。
動かなくなり方が違う。
副作用で拘束するのは病院ぐらいだ。
コレはありがたいが、実は何も接点のない会話になることが多い。
『オレも残業残業できつい時期あったよ?』
別に終った話は聞きたくない。
別に終った話は聞きたくない。
高い山と深い谷しかない。諦めれば壊れてしまうから止まれないのだ。
(うちの会社はほぼ毎日病状説明をしないとならない)
(医師はソレがプレッシャーになるからいかんという)
(医師はソレがプレッシャーになるからいかんという)
ひととおり、かすれ声をしぼりだして一通りの病状を説明してみる。
きつい言い方かもしれないが
「ウツの認知度は上がったが、対応や支援については未だ現場任せなのである」
「ウツの認知度は上がったが、対応や支援については未だ現場任せなのである」
それでもボクは良いと思う。
「私は理解されないことを悲しいとは思わない。私にだって自分判らないのだから」
いつか昔読んだ、どうでも良い一文がふっと出てくる。
読書ってこういう唐突のないトコで勇気をくれる。
読書ってこういう唐突のないトコで勇気をくれる。