MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

コロナと正義と

新型コロナの蔓延が続く。

初期は忍び足で鈍足。

蔓延に気付いてからは、爆走し、すぐに追い越される。

振り戻る間もなく、遠ざかる背中。

俊足でも、伸ばした手など届かなくなる。

あらゆる先手が後手後手になり、各業界の対応が結果論ばかりだと感じるようになる。

なぜもっと早く・・・と義憤に駆られる。

多くの情報、情報ばかりを食っては、消化不良で垂れ流し、食傷気味になり苛立つ。

医療機関での感染、行政の窮策。

義憤を感じ、義憤だと思い込む。

ウィルスにそのもの。

そういう正義が既に危うい。

 

コロナウィルスは人間にとっては害悪でしかない。

新型であるから、ワクチンを創っている。創らねばならない。

医療現場に限らず、多くの現場が、罹患者を救うため命を懸け、

かつ、防疫して自らを守ると云う、不可能な二律背反を使命とされている。

死ぬ気で生き延びろと云うことだ。

ボクなら御免こうむる。

逃げまっくて引きこもるだろう。

逃げずに対峙する多くの仕事人間がいる。

逃げてはならない。仕事だから。

憤っても仕方ない。生きるためだから。

そういう物言わぬ人間の総体が社会である。

だからこうして生活できているのだ。

 

罹患者を忌避し、あるいは排除することを正義だと思う阿呆がいるらしい。

マスクを着けない者を白眼視し、疑義ある機関をあげつらい、対応を糾弾する。

外で遊ぶ親子を通報し、サービス業に休業を迫り、自重を制度化しようとする。

おそらくは、物言わぬ人間の一部だ。

日常に埋没仕切っており、誰かの人生の脇役であるばかりか、

自分の人生でもセリフすらない。

こんなはずではない、と云うところに、舞台が現れる。

主役になりたいが、目立って叩かれるのも、下手だと謗られるのも嫌だ。

一段上がって、周囲を見渡す、そこまでの気概もない。

客席で寝たふりを決め込んでいると、舞台が荒れてくる。

客も何か言えるようだな。

誰かもっと色々と言ってくれないかな。

と半目を開けていると、どうやら野次っても良いようだと思う。

思い込む。

そして妙な行動に出る。

顔を隠して、石を投げだすのだ。

舞台に、役者に対してだ。

 

暴君やDV亭主に対しては、石だってやむを得ないこともある。

被害者は同じ舞台でやられっぱなしであるからだ。

それでさえ、話し合う機会ぐらいはくれてやれと思う。

正義は、公平であるべきだ。

 

ボクは、子供が風邪をひいたら、治って欲しいと思うし、

うつして、それで治るなら、仕方ないと思う。

親子は理屈ではないが、正気の沙汰でもない。

今、コロナに対峙している、物言わぬ人間の矜持は、親心に近い。

誰かがやるだろう、では間に合わないし、人任せにもしないのだ。

正義ではあろうが、正気の範囲を超えている。

対策にはあらゆる手を、罹患者には、最善の一手を、それだけを重ねる。

 

マスクで顔を隠して石を投げるのは阿呆だ。