MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

度しがたいヒト

腹が立つヒトが少なくない。
怒る、を通り越していくヒトもいる。
どう言っても、何も言っても、自らの枠内に引きずり込もうとする。
 
大抵は、子どもにも判る特徴がある。
・ 声が大きい。怒ると更に張り上げる
・ 理解出来ない、知らないことを嫌う
・ 褒められても、謙遜も否定もしない
・ 批判には全霊で反対する
・ 相手が謝罪しないと、自分の怒りを収めない
・ 自分のことを話したがる
 
「子どもにも」というのは、こういうのは子どもの特徴だからだ。
ところが、大人、年寄りになっても、そのままのヒトがいる。
話題に乗れずに怒り、疎外されていると言っては怒る。
悪口を聞けば、誰が言ったか追及し、自分のことではないと知るまで飽きない。
褒められているのを聞けば、自分に及ぶまで我田に水を引き飽きない。
多数派・良識派の中心に自分、少数派の変わった個性の中心にも自分。
自身に自信がないから、周りを見ては逡巡し、日和る。
 
『私は、嫌われても仕方がない』
と言いつつ、嫌われることを誰より恐怖する。
『あなたのことを良く言う人がいても、俺には違う見方ができる』
などと言い、少ない味方を最後の最後まで敵にする。
度しがたいのは、自分が悪いなどとは、考えてもいない。
そもそも辞書にない。
悪いのは自分以外・・・そういう乱暴幼稚なキレイなジャイアンがうじゃうじゃいる。
ウツ人たちには、まったく地獄である。
 
上司でも部下でも同僚でも。
家族でも親戚、兄弟でも、こういうのがいる限り、周囲は胃薬が主食となる。
眠剤がないとおちおち眠れなくなる。
もっと自覚して欲しいものだ。
・・・
ボクも誰かからすれば「度しがたいムカツク奴」になっていることは知っている。
ボクは、嫌いとは言わない。
面と向かって反論もしない。
それがいけない。
ウツ人たちの特徴で、事なきを好み、自己犠牲が自然体なのだ。
それが、度しがたい人には到底判らない行動だから、益々怒鳴られるのだ。
 
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同僚が怒鳴られる。
「もう少し褒めてやらないと、どんなに能力があっても誰も着いてきませんよ」
ボクはついつい言う。
『確かに私は能力はある・・』
などと言いつつ、相手は憤慨して、ボクを皆の前で叱責する。
叱責というか演説に近い。
怒る人は酔うのも早い。
何か言うことがあるか?とでかい声で言う。
 
「演説は終わりましたか?」と言ってみる。
 
皆がそう思っているだろうから、という前置きはしない。
そこまで卑怯じゃない。
安全圏から弱者に石を投げるなんて、子どもだってしない。
皆がそう・・なんて言ったら、周りを巻き込む。
不快になるのは、怒鳴られたモンだけで十分だ。
そして妙な雑用が増え、同僚が帰る中、ボクはまた呼ばれる。
「いいかげんにしろよな・・・」と呟きつつ、ボクの机におやつのチョコを置いていく同僚。
そういう、見えない同調で、ウツ人はかなり救われる。
ありがとう。
 
思えばバイト時代に、度しがたい長ばかりで困った。
怒鳴る・もてたがる・ブサイクという三重苦揃いだった。
経理事務所の長は、顔まで数字のアラ50で、いつもタイトなミニスカスーツだった。
逆セクハラがひどく、『チ○ポついてんのか!?出せ!毟ってやる!』と怒鳴っていた。
相手の若い男性社員が友達だったので、もっと若いボクは腹が立った。
所長、ボクので勘弁してください、と言うと、烈火の如く怒った。
『てめぇのオコサマチ○ポなんか見ても仕方がねぇだろ!!??』
ボクは、まぁまぁと所長の横に行き、ちらと出した。
チャックから親指。
大笑いだ。
そして耳元で『美人が怒ったら・・興奮します・・』と言った。
失敗。
暫く、ポケベルがうるさかった。
 
ボクは怒鳴るヒトが大嫌いだ。
しかし、そういうヒトをどうにかして利用できないか、いつも考えている。
あの怒りは相当のエネルギーだ。
原発が停止する中、代替エネルギーはいくらでも必要だ。
嫌いだ、では大人は済まないのだ。