MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

幸か不幸か

2.4.6.9.
2は荷とか似る、煮るで地獄。
42で死に、6は無とか虚無、転じて地獄、9は苦。
ゴロ合わせして、数字そのものに罪を転嫁している。
4649=なんて書いて夜露死苦と転じて、悪ぶったりしている。
不幸だ。
ボクは不幸で不吉な数字を好む。
2なんてシンプルだ。自身は偶数で1と2しか約数がない。
2nで延々と偶数ができる。
何か素敵なことが始まる気すらしてくる。
4は=2×2、2の2乗であり、約数は1.2.4。
1と2の生みの親の様な寛容さ。
4角形から8角形16角形・・・円の美しさが浮かぶ。
6に至っては完全数
約数は1,2,3,6。 6=1+2+3。
ここに悪魔的な何かを見出すかと言えば、美しさしかない。
次に28=1+2+4+7+14という完全数があるが、もう1.2.4と不幸な数の羅列である。
しかし28と云うのは微妙な不完全さ、切りの悪さが魅力的で、女性なら一番の旬とも思われる。
30前に結婚したり、子を産んだりするのも、この魅力的な数字を意識してと思う。


考え方の違いが、幸不幸を分ける。
考え方はその人のエトスとか超自我とかに関わる。
哲学の話はつまらんので避けるが、結局は生まれと生き方、来し方である。
どんな環境に播かれても、腐る種は腐るし、咲く種は咲くのである。
かといって、どんな神や教えや幸福な土壌があっても、不幸はなくならない。
生まれてこの方、愛とは神が与えたもうモノで、自分の顔すら見たことのない生き方も多い。
殺し殺されしか駆け引き知らず、敵か味方かしか区別ができない生き方。
そんな生き方に「不幸とは」と説いた時点で殺される。
善悪も白黒も、大した違いはなく相対的なものだからだ。
一方の幸福が、他方の不幸になって、はじめて成り立つのが社会だ。
どこに基準があるか、誰にも見えない。
自分には、基準の線引きが見えていると言う輩もいるが、おそらく嘘つきかヘボ詩人だろう。
そんな線、誰も引いていないし、はじめからないのだ。

圧倒的な善も悪もありはしない。
そこを踏まえて飄々と生きられたら、自身が神か悪魔になるしかない。
(別書庫のJOになる)
神か悪魔かという区別自体も、実に相対的である。
悪魔とされるイスラムの一派は、敬虔な私生活で知られる。
キリストを奉じるユダヤの一派は、金に狂い、アメリカも近い。
6を恐れることで同じだが、6自体に生まれながらの罪はない。
オーメンに影響され過ぎだ。
神に仕える天使の類は2枚か4枚の翅である。
それが上位になるにつれ、6枚になり、4大天使は6枚を誇る。
しかし、サタンもルシファーも実に6枚の翅を持っている。
同じ天使で、神に疑問があったか否か、それだけで区別された。

今日は29日。
不幸な数字が続くが、不幸なのはウツ人とメンタルにとってでしかない。
今日は日曜で、明日は最悪な月曜なのだ。
忘れていた先週を思い出し、末日への暗い道のりを呪う。
4月から新天地と云う別の地獄が待っている方も多かろう。
眠れない夜を、汗だくで目覚めるウツ人も多かろう。
大丈夫。
明日は30日。
30=1.2.3.5.6.15.30の約数を持つ。なんとなく安心できる数字たちだ。
次は31日。1と31自身しか約数のないシンプルな素(す)の数。
素数と云う。
ボクらは神でも悪魔でもない。
ただの人間。
ただの素数
何か・・・割りきれなくて当然。
誰とも・・合わなくて当然。