MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

父のひとこと

イメージ 1

3兄弟だからといって、ド貧乏な幼少期ではなかった、と思う。

3人ともソコソコの「欲しいもの」を頂いていた。
3人ともきちんとした身なりをしていた。
(懸賞品や母さんの手作りは多かった。)

そりゃ、外食はほとんどしなかったさ。
あ、外食のとき、弟が大声で言ってたことがあったな。



『1人、1,000円までだったよね!?』


「シー」の仕草をする母さん。
父さんは言った。


『ケチくさいことを言うな!好きなもんを食え!』



が、そのあと、

『このステーキじゃ、だめか?・・そうか・・』


父さんは母さんに小声で聞いて断られていた。




欲しい大物?は、クリスマスや誕生日を待って、どこかで妥協が必要であった。

兄弟で話し合い、貸し合う(出来ないのは判ってても)ことにしてた。


談合3兄弟であった



それでも、経済上の理由からか、「NO」と言われる事もあった。
弟は、大型の超合金(ナツカシ・・)のロボットを断られていた。

父さんは言った。


『欲しけりゃ、自分で造れ!』



確かに、父さんには「自分で造るクセ(趣味?)」があった。
それが、今でもボクの中ではキーワードになっている。

古くは、ライダーベルトやお面、スチロールの飛行機ぐらいは造った。
超合金ロボは「超ダンボールロボ」となったが、弟のウケは悪かった。

今でも、ガンダムのプラモデルを作るときでも気が付くと「造って」いるのだ。
プラ板が高いので、100円ショップのパッケージやヤクルト容器なんか使っているのだ。
(なんか、自然にこうなるんだよなぁ・・?いつからだろう・・)


今度16歳!になる実家の愛犬?がうちにきたときは、
さすがの父さんも犬小屋を買った。

が・・自分の「カントリー調の部屋を造る」というエゴのために・・











犬小屋をばらした!



木材が欲しかったのだろう。
(既に近所の「すのこ」を買い占めていた・・)

愛犬?はしばらく「古い靴箱」に住んでいた。
バックでしか「駐車」できない彼女にボクは同情した。

弟達も友人への説明に苦労していた。


そんな父さんだが、料理は全くといっていいほど作れない・・。
得意料理は「信州・上州の方々でも、毎日は食べたくないであろうアレ」だ。



『今日も、オレの料理!だぞ!』



3兄弟は、逃げ腰半分、諦め半分で食卓に着く・・。





すいとんほうとう)って、カレーばりに、なかなか、なくならないよねぇ・・