ボクは生きる
ヒトが亡くなる。
多くのヒトが社交辞令に近い、お悔やみや、決まり文句を言う。
だいたいは、言った瞬間に故人との「絆」を断ち切ってしまう言葉だ。
死者に手向ける「言葉」など言うこと自体「おこがましい思い上がり」なんだ。
死者に手向ける「言葉」など言うこと自体「おこがましい思い上がり」なんだ。
今日、友人が死んだらしい。
同じ病。
同じ病。
仕事と家族を両手に持って。
尊敬している。
長い付き合いになるだろう。
定年したら、飲み友達になるだろう。
家族ぐるみの付き合いだろう。
尊敬している。
長い付き合いになるだろう。
定年したら、飲み友達になるだろう。
家族ぐるみの付き合いだろう。
今はそう思うだけだ。
残された遺族のことも考えられない。
それは「生きているという優越感」から出るモノと考えるから・・。
ただ、友人に何もしてあげられないのが・・、いや、それも「優越感」だろうか?
ただ、友人に何もしてあげられないのが・・、いや、それも「優越感」だろうか?
友人に贈る、聞こえの良い言葉などボクには言えない。
つぶやきは止まらないけど・・
しばらくは更新できないかも・・
ボクだって一応「感情」くらいあるんだよ・・
ボクだって一応「感情」くらいあるんだよ・・
末筆になったがに友人に言ってやりたい。