速さと早さとウツと
なんとなく仕事が忙しい。
忙しがっているともいえる。
忙しがっているともいえる。
昔、ヒマそうな国語の先生が言っていた。
そんなことは「じゃかぁしい!」と放っておく。
そんなことは「じゃかぁしい!」と放っておく。
「自分の仕事」ときっちりラインをひいているヒトはそんなにいないと信じる。
なんとなく「余分なグレーソーン」も引き受けながら、ぐんにゃりした時間を過ごしていると思う。
なんとなく「余分なグレーソーン」も引き受けながら、ぐんにゃりした時間を過ごしていると思う。
ボクは仕事が遅い。「早さも速さもない」。
「速さ」と聞くだけで物理を思い出して、ぞっとする。
たいてい公式を「知っているか知らないか」だけの問題で、スパイスの効いた答えは求めていなかった。
たいてい公式を「知っているか知らないか」だけの問題で、スパイスの効いた答えは求めていなかった。
『物体AがVの速さで運動している。S秒後の位置を答えよ(メートルとする)』
『なお、まさつは考えないものとし、等直線運動をしているとする』
『なお、まさつは考えないものとし、等直線運動をしているとする』
中学あたりからこんな横柄(おうへい)な問題が増える。
問題の態度が「偉そう」だから「答えない」のがボクであった。
他にも『まさつ、は考えない』とか『等直線運動』とかに矢印をひいて
他にも『まさつ、は考えない』とか『等直線運動』とかに矢印をひいて
とか書いてよく呼び出された。
さて、仕事や家事、人生の「速さ」とは?「早さ」とは?
これは単純なな問題にはできない。
『Aは1時間にBだけの仕事をこなす。X時間後の仕事量を求めよ!』
『なお勤務時間は8時間とし、Aは休まないものとする』
『なお勤務時間は8時間とし、Aは休まないものとする』
Aはロボットか?
トイレ、一服なし?食事もなし?自分の仕事だけしてればいいの?
トイレ、一服なし?食事もなし?自分の仕事だけしてればいいの?
なんだか、そんな「単純なありえない設定」で世の中、「なんとなく」動いている気がする。
今日は遅かったので、自転車を飛ばして帰った。
バスを追い越したり(自転車も軽車両なので、原則車両ゾーンを走る)、
追い抜かれたりして帰った。
バスを追い越したり(自転車も軽車両なので、原則車両ゾーンを走る)、
追い抜かれたりして帰った。
『Aの速さを求めよ!なお、バスは止まらないものとし、信号や歩行者もないものとする』
そんな「ありえない状態の公式」を必死に覚えた、塾帰りの子供たちが沢山いた。
ボクが帰ったのはすっかり「子どもの寝る時間」だった。
ボクが帰ったのはすっかり「子どもの寝る時間」だった。