MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

EACH OF LIFE~十人十色が大原則~

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復職したときは、おそるおそるだった。

怖かった。本当に怖かったんだ。
一日目の浦島太郎っぷりと、視線の痛さは今も何となく覚えている。

最近は上調子?なこともあって、何となく復職したときの「怖さ」を忘れかけている。

仕事に行くのは嫌か?
前よりは喜んで行っている。
きついか?
きつくなるまで気付かない癖を治そうと思うが上手く行かない。
再発が怖いか?

怖いさ・・怖くって怖くって、なのに周りには言わないんだ

言えないんだ。

どんな職場だってマンパワーで動いている。
機械が全て管理、維持するにはまだもう少しかかる。

機械だって、いつも正確無比な数字をたたき出し、作動するわけじゃない。
まして、ボクは人間だ、一応。更にウツ人だ、ゼッタイ。

人間が、いつも正確なわけはないし、それが人間らしさだと思う。
いつも同じ中立な立場で、判断し、決定し、行動したら「営利企業組織」としてはどんなに良いか。
が、そうはいかない=ギクシャク・滑らか・緊張、色んな要素の人間が集まってこその組織であり社会だと思う。


ウツは病気ではない!そういう概念を生み出しただけだ!


言わせたいヒトには言わせておく。
そうすることもウツ人には必要じゃないかな?
反論しても「UFOかそこら辺の部類」であって、ウツ人を認めないヒトは認めないのだ。


それでいいじゃないかぁ?



ウツ人であるコトを自覚していればいいことであって、
判らないヒトに判らせようとするのは、ただの思いあがりだと思う。

ボクも復職して「いかに怖いか」をチラチラと語ってはみたが、すぐにやめた。
あきらめたのではなく、コレは個人個人の「内心の問題」であるからだ。

少し前に「世界が100人の村だったら」のような本があったが、ウツ人も少しはいると思う。


「ウツは病気」である以前に「ウツは個性」となって欲しい



病気となると後ろ向きになるし、凹み方も大きい。
ボクは何でも「個性」で何とかなると思っているのでそう考える。

高機能多動性障害(何かザクみたいでかっこいい・・失礼)など個性であって「障害」に無理やりされた気がする。

ウツ人は明日から仕事であろう。
「休まないと・意味もなく眠れなかった・どうしよう・相談できない・ウツなんて言えない」
そんな多くのウツ人が明日も、理解の手を待ちながら社会に向かう。


ソレだけは譲れない!ソレは命の平穏である!



自分に言い聞かせて、眠ることにする。
熱帯夜の皆さん、せめていい夢を。