いかに死ぬか!?
「人生を変える10の法則」
「1日1つの方法で幸せな生き方が出来る」
「1日1つの方法で幸せな生き方が出来る」
本屋は「生き方」などの「自己分析・自己啓発」バブルである。
ボクはここ3日くらい、しんどかった。
ただ横になっていても、きつい。
味覚がないが食べる!食欲落ちる。
動けば何とか・・ならない。
眠っても「起きない」気がして結局イライラして終る。
味覚がないが食べる!食欲落ちる。
動けば何とか・・ならない。
眠っても「起きない」気がして結局イライラして終る。
次々に幻覚だか幻聴だか、負のベクトルが間断なく続く。
起きても「なんだこの遊離した感じは・・」。自分がずれてしまっている・・。
もう、そういう時は「徹底的にいかに死ぬか」を考えてやろうと思った。
もう、そういう時は「徹底的にいかに死ぬか」を考えてやろうと思った。
ウツ人というのは「いかに死ぬか」考えることは余りない。
なぜなら「考えたとき」は死んでいるからだ。
だから、あえてボクはタブーを犯したことになる。
だから、あえてボクはタブーを犯したことになる。
数十通りの死に方とその後の「処理のされ方」が浮かんだ。
結論としては、死ぬ方法は無限にあるということだ。
結論としては、死ぬ方法は無限にあるということだ。
「死ぬ」という言葉には、切ないまでの決断があり、生きることへの選択肢はない。
「死ねる」という言葉は、生きていてもいいんじゃないか・・?という何と言うか、少し選択肢がある。
「死ねる」という言葉は、生きていてもいいんじゃないか・・?という何と言うか、少し選択肢がある。
ボクは既に「何度か」死んでいる。
そして、その都度「死にたくない!」と情けなく、覚悟も決められず、もがいて「生かして」もらった。
そして、その都度「死にたくない!」と情けなく、覚悟も決められず、もがいて「生かして」もらった。
あえて今、死ぬことはないのだ。
ただ、味覚は欲しい。
メンソールのタバコはまずくて性に合わない。
メンソールのタバコはまずくて性に合わない。