子猫は拾うな
1111本目の記事である。
「ワンワンワンワン」でイヌの記事を書こうと思った・・がネコにする。
ボクは天邪鬼である。
ボクは天邪鬼である。
子どもの頃「犬猫は絶対に拾ってはいけない」と教えられた。
学校でも、何でもない「地域教育」が生きていた。
学校でも、何でもない「地域教育」が生きていた。
全くその通りである。
ソレでも「仕方がないケース」というのはあるのである。
小学校に行っていただろうか?
そのくらいのとき「7匹の子猫」が捨ててあった。
ただ、捨てれば良いものを、わざわざ「深いケース」に入れて捨ててあった。
そのくらいのとき「7匹の子猫」が捨ててあった。
ただ、捨てれば良いものを、わざわざ「深いケース」に入れて捨ててあった。
友人が言った。
『もう2匹くらい・・死んでるなぁ・・』
雨の日で、ひどく臭った。
友人と、家の前で別れたものの、どうもソワソワしていけない。
牛乳を温めて、元の場所に戻った。
(アレ?いない・・良かった。誰かひろってくれたんだ)
と思ったのも束の間、当時は恐かった「お兄さん達」が、
ネコの目やら鼻やら、こづいているのが見えた。
ネコの目やら鼻やら、こづいているのが見えた。
ボクより先に、やっぱり、友人(同じく戻っていた)が見つけて言っていた。
お兄さん達は、なんとなく「オモチャ」に飽きた様子で帰って行った。
とは言ったものの、友人もネコは飼えない。
周りに声を掛けても「ネコを飼う」なんて時代じゃなかった。
ネコ=ノラであって、今のように、当たり前じゃなかった。
友人の家は、結構厳しかったようで『ゴメン・・飼えないよ・・』と言った。
周りに声を掛けても「ネコを飼う」なんて時代じゃなかった。
ネコ=ノラであって、今のように、当たり前じゃなかった。
友人の家は、結構厳しかったようで『ゴメン・・飼えないよ・・』と言った。
帰っても、やはりソワソワ、温いミルクを置いてきたものの、胸が高鳴った。
「誰もが知ってる秘密の場所」には、幼馴染みが集まって
無力さを感じながら「仕方ない死」と向き合っていた。
無力さを感じながら「仕方ない死」と向き合っていた。
ボクの当時の一番の友人は「ハカセ」と呼ばれるだけあって、知識は提供してくれた。
ソレを聞いて、やっぱり何人かは諦めるというか、諦めるしかなくて帰った。
雨はどんどんひどくなる。
子猫の体力なんて、実に予想を超えた弱さで、もろかった。
子猫の体力なんて、実に予想を超えた弱さで、もろかった。
帰りかけたとき鳴きやがる。
母親には『アナタは喘息持ちなんだから・・気持ちは判るけど』と言われた。
でも、でも、この間に、もう何匹残っているか。
でも、でも、この間に、もう何匹残っているか。
「やれることは全部やろう?」
『当たり前だろ?どっちかが学校休めば、済むじゃんか?』
そんなことで何日か過ぎて、一匹、一匹と、弱っては、去っていった。
最後の2匹が残るまで、あっという間であった。
案の定、体調を崩したボクに先生は言った。
案の定、体調を崩したボクに先生は言った。
そのひとことに切れて(切れてはいけないが)くってかかった。
職員室がやっと動いてくれて「里親探し」が始まった。
遅すぎた。
友人ハカセの言葉に、滅多にケンカしないボクらは殴りあった。
余計なこと<見殺し
生きていた<死んでいた
????????
答えをあえて出さないまま、ボクは喘息をこじらせて寝込んだ。
後で聞いたが「母親軍団」も相当に、何とかしようとしたらしい。
ただ、あの当時は「無力」だけに打ちのめされた。
ただ、あの当時は「無力」だけに打ちのめされた。
北海道は夏から秋にかけて「捨て猫・捨て犬」が急増する。
内地(本州)からの観光客が、観光のついでに「泣く泣く捨てていく」のである。
帰巣本能のある犬も、海は越えられない。
野生が残る猫でさえ、樹海同然の森の中では「ただのエサ」に過ぎない。
野生が残る猫でさえ、樹海同然の森の中では「ただのエサ」に過ぎない。
北海道を「夏から秋にかけてドライブ」するなら気をつけて欲しい。
ボクも何度か経験があるが、森の中から
「犬・猫」が嬉しそうに、飛び出してくるのである。
「犬・猫」が嬉しそうに、飛び出してくるのである。
勿論、鹿やクマを逃れて、あえて飛び出してくるのである。
かつての「忠犬ハチ公」のように、「待ち続けた捨て犬」が静かに眠っている。