MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

フルネームの大切さ

フルネームで憶えないと失礼である


持論なので個人的なのである。
よって、以下は個人的になる。


「高橋さん」はゴマンといるが、高橋是清(これきよ)は故首相で名だたる蔵相と特定される。

「松本さん」はゴマンといるが、松本人志(ひとし)は笑いの求道士と特定される。

「田中さん」はゴマンといるが、田中慶秋(けいしゅう)は代議士?と特定される。


ボクはフルネームで憶えられなければ、友人にはなりたくないし、されたくもない。
苗字で「○さん」が限界なら、気の利いたアダナの方がよぽど嬉しい。

ボクは記憶力の程度に劣等感はないが、ソレでも限界はある。
同じ苗字なら10人程度が限界であり、珍しい苗字でも15人が限界である。

そして、早いもの順に憶えて行く・・

結果として「小学校」でほぼ飽和してしまい、中学以降は「じゃぁ憶えない」となる。
女子とは話す機会もなかったので、男子優先で女子は「余白を利用」することになる。

ボクぐらいの世代だと「同姓同名」は異常に多く(多分画数の関係)すぐ上限が来る。


佐藤恵さん、高橋由香さん、山田香さん・・


佐藤恵さんは上限を超えてなお、増えてきたのでアダナで片付けてきたが、
失礼なので「藤沢の法律関係の佐藤さん」とか「道央の理容の佐藤さん」とか区別している。


イチローは鈴木一郎であり、タモリ森田一義なのである。
松田聖子は蒲池典子(だったか?)であり、ヤマカンは山本勘助なのである。

(「あたしんち」で有名なケラエイコ女史はケラカワウチエイコなのである)


結果として、同じ人物に複数の名前は余り必要ないので、芸能人は切り捨てていくことになる。

さて、町内会とか地域(コミュニティ)の脆弱さは最早、言うまでもないが、

フルネームの大切さというか「匿名でも生きていける」甘さや脆さが原因であるとも思う。

お隣りの苗字は知っているが、下の名前を知らないとか、
職業も知らない、話したこともない・・。

怖くない!?


ボクは未だにご近所挨拶を欠かさないが「いざというとき」の自己防衛でもある。
その辺で出会って、挨拶一つかわさないというのであれば「他人」である。
他人にいざというとき、何も頼めない、頼まれないのは淋しくもあり、怖くもある。

ボクは個人的に社会学が好きだが、アノミー(無秩序)に陥るきっかけは
どの説をとっても「社会関係の希薄」である。

流れから「フルネーム」でないとまずいので読みにくいだろうが、書く。

オーギュスト・コントは神学→形而上学(宗教とか)→実証学と進化する社会を提唱した。
じゃぁ実証学まで行ったかというと「形而上学と実証学がゴッチャ」なのが現状である。

「家族とは?」と大げさに言う必要もないのだが、
フェルディナント・テンニースは「血縁関係=ゲマインシャフト」として提唱。
家族という基本的社会が未成熟なうちは
ゲゼルシャフト=利害関係」である会社や社会集団には属せない!と説いた。

なるほどね・・と思う。

が、マッキーバー(RMについては省略)はテンニースとは異なり、
「家族はある目的達成のための集団=アソシエーション」であり、
「地縁関係=コミュニティ=町内会とか」とは決定的に違う!と説いた。

それもそうね・・と思う。

毎日?戻るからには「飯が食える」とか「雨風がしのげる」とかいう理由が必要であり、
その理由がなんにもなくなったとき、ヒトは自立して、1人暮らししたり結婚したりする。

結婚は「自分がが生まれた家族の形の模倣」であり「退行」である!とい学説もある。


同伴は要らない!一人で生きてこそ人間だ!



という、極端な本もおそらくは、このあたりを論拠としているのであろう。

疲れてきた・・。

心理学ともかぶるが、
マルティン・ハイデッガーカール・ヤスパースが根本的に違うのは・・

神を信じるか信じないか!?


ハイ正解です。

ウツ人的な正解は・。。・


名前が違う!!


ハイデッガーは高名な社会学者で「死を意識して初めてヒト足りうる」という著書が有名。
有名な大学(フライブルク・・かな?)の教授もして天寿を全うした。
が、ボクとしては「マルチンなのかマーチンなのかマルティンなのか」
名前もはっきりしない社会学者は嫌いなのである。

一方でヤスパースのおじさんが偉かったのは、
ナチス体制の下でハイデッガーが「ごまをすった」のに対し、
社会学者以前にヒトとしてナチスに反抗」して、ひもじい一時期をすごし、
そしてなおかつ、天寿を全うした・・・という点である。

社会学は「人間(関係)を科学する」という、とてつもない目標を掲げてはいたが、
よくある話で、

科学にヒトが追いついてこない・・


という結果になり、
過去をほじくったり、自己模倣を繰り返して、目新しい進展はない。

レヴィ・ストロースというヒトが構造学を社会学に持ち込んで一斉を風靡したが、
ボクはやっぱり名前もはっきりしない社会学者は嫌いなのである。

レヴィ・ストロースは本来はリーヴァイ・ストラウスなのだが、
『ソレじゃGパンのリーバイス社を同じじゃんか?』
となって名前まで読みにくくされたのである。

「あぁGパンのリーバイスね?」で方が付く話である。
「あぁ学者のリーバイスね?」で方が付く話である。


疲れた・・。
ボクも風邪ぐらいひくらしくまだ熱が下がらない。
鼻から息が出来ないのは結構苦しい。


他にも「万能の天才」マックス・ウェーバーヴェーバー)は、
「なぜキリスト信者は働くのか?」を見事に論文にしたし、
サイバネティクス社会学」なるSFちっくな話もあるが、やめる。



え?ヘーゲルがいない・・?






オルグ・ウィルヘルム・フリードリッヒ・ヘーゲル


こんな「オレは実は皇帝の子孫でな・・」と言いたげな名前は、
ボクでなくても、ちょっといただけないのである。

ヘーゲルは「20世紀の巨人」と称されている。

Georg=ジョージのくせに・・。

凡人のひがみである・・。