MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

昔?の遊び ドラクエまで

ボクの実家は貧乏ではなかった。

かといって何でも買ってもらえる方針でもなかった。
遊びは体を使うのが当たり前であり、頭も使わないと楽しくなかった。

今のように携帯ゲームもネットもなく
カードゲームやコンピューターゲーム(言い回しが古いなぁ)もなかった。

コンピューターゲームというのは喫茶店やゲームセンターにある
「有料」のものであり、一回で小遣い一ヶ月分がとんだので、やらなかった。

ガチャガチャ(100円入れてカプセル入りの景品がもらえる)は当時20円であった。
だんだん50円、100円となっていき、最近ではワンコインと称して500円も取る。

メシが食えるじゃねーか・・

が、そんな「萌えフィギュア」が欲しいがために結構な大人が大人買いをするらしい。

さて、

・かくれんぼ

コレはオニが1人で、あとは隠れて見つかるまで移動したりする。
初めはそのへんの茂み、とか可愛いものであったが、
だんだん「町内」、「3町内」、区内などど拡大していき、
しまいには「オニが複数・自転車で聞き込みする」ようになると、ルールも戻った。

「自宅に帰る」「友人家の犬小屋にしけこむ」「地中に穴を掘って隠れる」
などはローカルルールで制限または禁止され、やはり原点に返った。

オニがカンを守ると「カンけり」であり、晩ごはんまで帰らなかったが、
コレもエスカレートし、
「ドラム缶を使用」「オニに目潰し」「火事を起こしてオニを動揺させる」
などはローカルルールで制限または禁止され、やはり原点に返った。

オニも50メートルを5秒台で走るヤツは強敵であったし、
缶をパチンコや犬を使って倒す、など知恵も絞って楽しかった。

オニがつかまえるのは一緒だが、「色オニ」や「高さオニ」、「カタチオニ」
などの亜流は、結構難しかった。

色オニは、オニが「黄緑!」と言えば、黄緑のものに触ればOKだが判定が渋かった。

『植物の茎は、緑だろぉ・・』


とか、オニが難色を示したら負けなのである。
無論、信号の青は「緑」であり、黄緑にはならなかった。

シャア専用ザクのピンク!!』


などとオニが叫ぼうものなら、みなプラモデルを取りに家に走る。
オニは悠然と待つ。

そして『それは赤だ』『いやピンクだ』などと口論になり、
シャアザクの色はピンクか赤か』という別のディベートになる。

(ちなみにシャアザクの色はピンクっぽい赤であり、サンライズが厳格な色決定をしている)

・鉄棒

当然、逆上がりや一回転ができませんでは仲間に入れない。
大車輪をする猛者もいて、多種であるが「○○飛び」というのが主流であった。


両手が両足の内側になるように回ってとべば「飛行機」逆なら「グライダー」
両手を交差させて、ねじってとべば「ヘリコプター」、片手なら「セスナ」など。

着地点に円を描き「ココなら5点」などと決めて競った。
遠くに飛べば高得点であり、そのための高い鉄棒が必要で、高校にも侵入した。

「着地点が点数またはワナにもなる」のはブランコから飛び降りたり、
高飛びしたあと、などに応用された。

ひどいのになると「着地点が落とし穴か有刺鉄線だらけ」であり、
着地しないで普通に遊んでいた方がよっぽど良かった遊びもあった。

・メンコ(シモネタではない)

月光仮面や鉄人のレアものを持つやつは狙われた。
下を通したり、ひっくり返せば「もらえる」のであるが、そこは子どもである。

あいつ、ガンダムのデカイの持ってきてる!


となれば、敵も味方も血も涙もなく、「ガンダムメンコを捨てて泣いて逃げる」まで
ルールは変更された。

「金属バケツのフタOK」「ドラム缶のフタOK」「端を削って回転力上げるOK」など。

・割り箸鉄砲

ワリバシでどんどん巨大化させていった。的も「当てるから貫く」に変更。
そのうちに「木材」で作ってパチンコ玉を撃つ、となって殺傷能力から先生に取り上げ。


・秘密基地

コレはなんおことはない。プチ家出である。
空き家とか、空き地とかに不法滞在して、不法住宅を建てるのである。
建築廃材を使うので「一ヶ月なら住める」ぐらいのものが出来上がる。

大人に止められると「山の中」とか「地中」に秘密基地をつくる。

一度「これ幸い」と防空壕(戦時中に避難用に使っていたもの)を秘密基地に使ったが、
迷うほど深い、変な声が響いていて怖い、骨があった、酸欠、などの理由で却下となった。


・そのほか

「階段をおりてくるバネ状のおもちゃ」 夜店の当たりがなぜかコレ。伸びたら終わり。

「夜光るリング」 これも怪しげな親父が売っている。冷凍庫に入れても長持ちしない。

「お面」 長時間かぶるため息がくさいと致命的で、どこか割れても傷が付くのでダメ。
     工作用紙や画用紙が手に入ると「自作合戦」がはじまり、レベルは高かった。

「スライム・磁石」 砂場で落として絶望する子どもが続出。値段が高いのわりに遊べない。

「凧揚げ」 自作が基本。電線(高圧ほど得点高い)にひっかけるルールで苦情があった。
      ゲーラカイトなる高級なものは排除、四角か三角で高さを競った。

「ベーゴマ」 コマに飽きた頃に流行りだす。忍者ごっこで凶器になり禁止。

「タケウマ」 自作が基本。駅(3キロ)まで競争して車から苦情。
       近所の竹林所有者から苦情で下火になったが根づよい人気であった。



今でも人気の任天堂のオバケ商品であるが、当時はゲームウォッチが主流で、ボクも
はまったが、マリオ、ゴルフ、マッピーパックマンなどで競ったくらい。
ゼルダの伝説」あたりでディスクシステムの限界を感じはなれた。

弟の友人などは、メガドライブ、PCエンジンなどすっかりハード商法にはまっていたが、
弟も折り紙やあや取り、ままごとなどに興味があったので、時間制限いっぱいまでしなかった。


ドラクエが出るまでは・・



ドラクエはセーブ前に停電したり、オヤジがリセットしたり、Ⅱは「ふかつのことば」を
書き間違え自失したり、とにかく兄弟がいがみ合ったので、あまりいい思いではない。


ドラクエ発売が7月に延期になったが、「こんどのドラクエは・・」と、
少年ジャンプで2年くらい、待たされてジレジレしていたボクとしては、今更である。

続編は要望があれば・・・。