悩む力
ウツになってからこっち、つまらないことで悩むようになり、
悩まなくちゃならんことをスルーしている。
悩まなくちゃならんことをスルーしている。
人間、衣食足りて礼節を知り、衣食住と余裕があって「悩む」ようになるとか。
今、目の前のことでいっぱいいっぱいだと、眠るか食べるかだけで余計なことは考えなくなる。
ボクは、朝起きたら夜のことを考え、夜は明日のことを考え、
寝なけりゃならないのに「今日は何でこんなだったか」とやるので、切れ間がない。
寝なけりゃならないのに「今日は何でこんなだったか」とやるので、切れ間がない。
明日は今日よりマシさ!と寝て、マシだった試しがない。
それでも「自分を評価する」ってことは必要なので、
ことにしている。
朝、起きている。朝日から逃げていない。朝食を食べている。同じ時間のバスに乗っている。
会社に行っている。昼寝をしない。風呂に入る。その日のうちに寝る・・。
会社に行っている。昼寝をしない。風呂に入る。その日のうちに寝る・・。
ついぞ4~5年前くらいには、夕方に起きて、ボーッと暗い部屋で何も食べないで過ごした。
風呂とか食事は日課ではなく、着替える習慣もなかった。
当時の「笑える?ウツ人の独り言」、今は、やっと笑えるようにもなってきた。
風呂とか食事は日課ではなく、着替える習慣もなかった。
当時の「笑える?ウツ人の独り言」、今は、やっと笑えるようにもなってきた。
つまらないことで悩んでも、ソレはヒトの生理なので仕方がないのである。
悩まないでしたことは反省も後悔もないので、後で何の教訓にもならない。
悩まないでしたことは反省も後悔もないので、後で何の教訓にもならない。
何も考えないで投げた球がすごい球であっても、ソレはまぐれであり自分の力量ではない。
すごい球なんぞ投げなくても良いから、とりかえしのつく範囲で投げ続けたい。
すごい球なんぞ投げなくても良いから、とりかえしのつく範囲で投げ続けたい。
悩んでも明日の自分は今日の自分と同じだし、
悩んだ結果がきちんと出るとも限らない。
悩んだ結果がきちんと出るとも限らない。
それでも
とはいえないのである。
悪いことじゃないなら、悩めば良いのである。
悪いことじゃないなら、悩めば良いのである。
ボクは子供の将来をアレコレと悩むが、悩んでも多分何も変わらない。
自分についてもアレコレと悩むが、悩んで進歩したことはない。
自分についてもアレコレと悩むが、悩んで進歩したことはない。
だから悩むんだと思う。
悩むことで大きく変わるなら、みんな悩むだろうし、流行る。
悩むという行為をはさんで、大して何も代わらないトコに、悩むことの意味があると思う。
悩むという行為をはさんで、大して何も代わらないトコに、悩むことの意味があると思う。
そんな「お手軽な悩み」はない!
自分の悩みは「とてつもなく重くて大きい!」とは誰でも思うことである。
自分の悩みは「とてつもなく重くて大きい!」とは誰でも思うことである。
実際「今後の政権をどうするか?」は大きい悩みだろうが、
「次の選挙で勝たないと政権ドコでは」という悩みになって、
「選挙する金をどうする?」というあたりでは、「晩飯何作る?」と大差ないのである。
「次の選挙で勝たないと政権ドコでは」という悩みになって、
「選挙する金をどうする?」というあたりでは、「晩飯何作る?」と大差ないのである。
選挙しなくても生きていけるが、晩飯を適当にすると生きていけないのである。
晩飯、どうしよう。