MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

不自由な葬儀

父さんが納棺され、斎場に搬送された。
親族とか父さんの日産関係者がたくさん集まった。

滞りなく通夜は終わった。

ボクは辛いので時々一服がてら、ホールから出て喫煙場所に居た。

周りにも顔も知らない参列者が退屈して集まったりしていた。
「情報収集」とか「家庭自慢」「不幸自慢」をしていた。


『あんなにいつまでも泣いて、いい大人がさぁ!』

姉(イトコ)のことらしい。
実母も怒っていた、例のこの人かなぁ・・。


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「そう、科学界」の信者というのは葬儀で絶対に泣かないらしい。
大笑いして、笑って「新しい世界」に故人を送り出すのが最善な礼儀とされるらしい。


こともあろうに「喪主」のもう一人の母さんに対してもたしなめたらしい。


『父親が死んで娘が泣いて何が悪いのさ!?』



もう一人の母さんは激昂し、「そう、科学界」のそのヒトは呆れたらしい。
ボクは「そのヒト」知らずに話しかけられた。

『あなたは立派ねぇ、故人に良くしてもらったら、そうやって笑顔で居ないとね』
『もしかして・・・大した親戚じゃないのかしら?』

「息子です」

『え!?気丈に泣かないのね?偉いわ。笑ったほうが良いわよね?』

そのヒトは「無理に泣かない顔」をしていて見えた。
笑い顔には程遠い。

宗派というのは個人の感情も支配しうるほどのものか?
ボクは嫌いなヒトでも死んだら、地獄に言って欲しくないし、代わってやりたい。
生きている・・それだけが死を超えるほど苦しいことだってある。
もうひとりの母さんが、うつにならないかボクは心配であるし、
ここ数日、奇怪な言動の多い姉も心配である。

が、一番心配なのは死んだ「もうひとりの父さん」である。

急に旅立ったが、もっとその生きた知識や感情、礼儀を振りまいておくべきではなかったか。
若和尚が、立派な「誰かから聞いた話」を法話としていたが、気に入らずボクは寝てしまった。

父さんなら、なんと言ったであろう。
父さんが「旅支度」をされ「納棺」され「祭壇に置かれる」まで何を思ったであろう。


『心がこもってねぇなぁ・作法は、まず畏敬の念があってから・・』


聞かなくてもわかる。

さて、例のヒトはしつこく他宗派の悪口や斎場職員の無作法批判を始めたので、
ボクはタバコもまずくなり、どうにも聞いていられなくなった。

「泣くより笑うのがはるかに良いって聞いたことあります。」


『きっと学会のひとでしょ?』



「戦争で親とか子供が死んだヒトですけどね・・」



泣いても誰も生き返らない。
泣いても食べ物はない。
泣いたらのどが渇く。
泣いてるより・・生きるためのモノに走る。

ボクが香港で見てきた人たちである。


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仏壇屋でアルバイトをしていた時期があった。
「そう、科学界」の仏壇は特殊仕様で高価であった。
高価であるほど良いとされ、現世の親族に幸せが増えると聞いた。


マルチ商法じゃねーか・・・




今日も眠れそうにない。

今日こそ「徹夜のお線香番」をしたかったが、実父が言ったから帰ってきた。


『明日も来るからいーじゃねーか』


昔は、泣きたいほど泣いて、故人の思い出を語るだけ語って、
そんな中で笑いも出てきながら葬儀をしたと聞く。


砂川市の政教分離の記事を書こうと思っていたがやめた。

「個人の感情」が「故人への素直な感情」になれないことが不自由だ。
政教分離より、まず建て前から分離することがずっと先のはずだ。