禁煙をやめる
禁煙は考えたことがあるが実行したことがない。
ボクぐらいの長い喫煙者になると、禁煙は悪である。
考えるのはいいが実行は悪である。
殺人を考えた方(あのヤローぜってー殺す!とか)は多いと思う。
が、実行するとなると確率的にはとても低い。
思考と行動の間にはとても大きな隔たりがあり、ウツ人が完全回復するのにもソレは当てはまる。
あさってから増税でタバコが400円以上になる。
「わかば・エコー」を吸う若者が増えそうで楽しみである。
一方で飲食店が喫煙者を遠ざけ、客扱いしないという、魔女狩り的発想は定着して困る。
喫茶店でさえ「コーヒーの香りを楽しんでいただくため・・」などと謳っている。
喫茶店の「喫」は何たるやである。
コーヒーのわずかな香りの違いが楽しめるのに、タバコの香りは反社会的であると言う。
平等にどっぷり浸かった大衆が考えそうなことであり閉口する。
コーヒーもタバコも嗜好品であり、健康に一利もない。
喫煙王国の北海道でも嫌煙は触手を拡げている。
灰皿まで撤去され、遠くの「タコ部屋」紛いまで行かないと喫煙できない。
タコ部屋では、多くの同士が中空を眺めて煙と一緒に魂までもが抜け出している。合掌。
多数派という数の暴力による暴言である。
実は、あの煙は「ストレス」である。
つまり、「己の怒り・憎しみ・他者への害意」を、あの煙とともに放出しているのである。
ソレが証拠に、職場では犬猿であり一触即発な2人が、喫煙中は笑って週末の過ごし方なんかを語っている。
あの煙とともに2人の険悪な気は霧消するのである。
禁煙などという暴挙から、電子タバコやニコチンパッチを試しても成功しないのは煙が出ないからである。
火と葉とともに、己の未熟さを吸い込み、ストレスとして吐き出すのである。
喫煙が悪でたまるかぁ!!
煙を吐き出すことを精神行為と見ると誤解が生じるので断っておく。
「北斗の拳」や格闘モノの多くで、全身から出るあのオーラ=気はストレスではない。
あれは「煩悩か邪気」である。
命賭けの戦いを前にして、煩悩が充満していては困るからである。
・ 負けたらどうしよう
・ 見逃されたら恋人にどう言い訳しよう
・ どうもやる気がないなぁ
・ 少しオシッコがしたいけど大丈夫か
・ 洗濯物を干しっぱなしかも
・ 朝の薬を飲んだかなぁ
そんな煩悩を考えていては、戦いにならない・負ける。
だから「ヌヲォォォォ」という掛け声と主に、全身から煩悩無能邪気弱気を吐き出すわけである。
ほとばしる邪気の勢いで、わざわざ上半身の服までもがはじけ飛ぶ。
とにかく、これで何の迷いもなく、ただ勝利のみを信じて己を滅却できるのである。
手首の布がはじけ飛ばないのは、おそらく「ためらい傷」があるからであろう。
リストカットは心の自己治療である。邪気ではない。
下半身の服がはじけ飛ばないのは・・つまり、そういうことである。
女ならともかく、本能が下半身にある男は、どうあがいてもシモから煩悩を払拭できるわけがない。
さて、タバコの害は論破されつくしている。
が、ボクは思うのだ。
「タバコは人類の歴史でもっとも成功した麻薬である」と。
いきなり副作用なり症状が出て、狂わせてしまったら麻薬としては大失敗である。
リピーターがあってこその需要であり売り上げである。
コカインヘロインなどは即効性はあって依存性も高いが、値段も高く精神も狂いやすい。
その点、タバコは「吸いながら通常の生活ができる」というノーベル賞モノの麻薬である。
デザインも秀逸でもはやアートである。
芸能人などの有名人が覚せい剤で逮捕され有名、地に落ちているが不幸である。
非合法であった。
ただそれだけの理由で覚せい剤は未来を奪われ、タバコは日陰ながらも安穏としている。
政府は思い切る必要がある。
(法改正したりしてね・・どうせ何やっても文句言われるんだし・・)
ニコチン0.5ミリを越えるタバコは麻薬とみなす
それ以下のタバコと同様の副作用、あるいはそれ以下の麻薬は法から除外する
ただし、麻薬に関しては○ミリ1万円とする
税収はよっぽど増える。
病理学的な副作用ばかり取り上げていては、極端な魔女狩りにしかならない。
麻薬にも作用を認めてもいい。
多忙で睡眠の取れない高額納税者には、多少の恩恵というか免罪符も必要かと思う。
ボクは麻薬はやらない。
1万円札など持っていないからである。