就職活動という無駄
この時期、浮かれていられないヒトは沢山いる。
冠たるモノが戦争中の軍人と避難中の民間人であり、
末たるものが「彼女彼氏がいない」ヒトである。
そして同情を禁じえないのは就職活動中の学生(及び社会人)である。
就職したい!働きたい!と思うのに、どうにも不況であり採用されない。
同じ面接のエントリーシートを何枚も書き、同じ自己PRを繰り返す。
そのうち、自己PRもスラスラ言えて、質問には模範解答できるようになる。
ギリギリになって焦っているのは、準備不足か極度のあがり症の方である。
多分「就職するための準備」というもの自体が無駄に思う。
まず就職活動のためのセミナーなるもの。
礼の仕方、相手の目を見て話す。
重要なところではメモを取る、好印象のスーツ、化粧髪型、他人と違う印象の与え方・・
既に「切られる側」に身をおいての防御術である。
確かに「他人と違うコト」というのはまだまだ短所になる時代。
まず基本を押さえ、そして更に他人と違うアピールをしなけれなならない。
個性と言うものは「常識」を踏まえてから次にあるものであって、武器とはならない。
同じスーツを着て、同じ標準語を話し、さわやかに初々しく。
寒い時代である。
ボクの就職の時代も超氷河期と言われた。
大学卒で4割、高卒は2割ほどの就職率であった。
ボクよりはるかに「常識力」を備えた友人が肩を落としているのを見ると切なかった。
社長の名刺で、他の内定を断ってくれ・・そういうのを夢としてみんな頑張っていた。
ボクは名刺はもらっていた。
そういう名刺を持って、他の面接にいって意見を聞きに行っていた。
迷惑な大バカ野郎である。
ボクは面接を受けに行ったことはなく、完全に敵地に行く気でいた。
『ご両親は何をされていますか?』と言われようもんなら
「サルかなんかだと思ってますか?」とか
「両親がいなければ、ハイさようならですか?」と聞き返した。
(銀行や生保では面接官はヒクヒクしていた)
つまりはケンカを売りに行っていたのである。
ボクはバイトが忙しかった上に、JOたちとの連絡途絶で自らの生死を危ぶんでいた。
そんなとこで「○日○時にここの会場」と指定してくる会社に苛立っていた。
バイトは浅く広く各業種でしていたので、仕事の説明などいらんのであった。
殺される!という思いもしていたので、面接なんか軽く見ていた。
そのくせ「ヒトの未来を決めるのにその態度は何だ!」といつも苛立っていたのである。
「あなたは落としますよ」という雰囲気を察知できたらすぐ聞いた。
「何が悪いんですか?殺さないから教えてくださいよ?」
別に通知など待っていなくても、その場で素直に聞けば大抵教えてくれる。
3流の大学であるから・・なんとなく怖かったから・・つまらん理由がならんだ。
長くなりそうなので、まとめる。
ボクは「自分が面白いと思うコト」だけした。
多分、結婚とかそういう将来を全く考えていなかった上での暴挙であろう。
・ エントリーシートは「飛び出す絵本」方式である。
・ 両親や親戚などは適当に書いた。
・ 学歴経歴はそのときに思いついたことを書いた
・ 「ウソ」」を指摘されれば、なぜそこがウソだとまずいのか、しつこく詰問した。
・ 面接官の印象をメモして個別に渡してきた。
・ バイトとかぶったときは私服で行った。
・ 服装を指摘されたら、自分の服について熱く語った。
・ 『この商品を私たちに売ってみてください』といわれたら「こんなもん売れません」と言った。
・ 飽きたら英語とか即興の古代言語で話した。
・ マックを食べながら面接を受けた。
無論、殆ど落ちたが、面白いのは「どっちか」であったこと。
つまり「非常識で二度と来るな!」であるか
「一足飛びに重役面接」となるかであった。
ソレ相応の面接になると、古着のスーツで行く。
ボクはある程度の面接になると「お題」を考えていった。
向こうの質問はさておき、切り出すのである。
「死刑について、いかがお考えですか?」
こういう「お題」は会社と関係がなければないだけいい。
怒られて罵声をあびせてきたら「答えられませんか?」と笑いかけ、こっちに引き込むのである。
難しい顔をしてきたら「冗談ではないですよ?」と言うのである。
そして面接官の人間臭いトコを見ていたのである。
内定は全て切った、あるいは替え玉で他人にあげた。
だから今は就職と金欠貧乏で悶々としているのである
※ コレは事実でありますが、お奨めいたしません。
友人の多くは、基地外といっておりました。
就職活動を否定する気は毛頭ない。
ただ「飛び道具」をもたず不安でないのか?と問いたいのである。
面接する立場になったとき思ったことがある。
「あの時のボク」がいれば少しは面白いのになぁ・・。
無論、切ったであろう。
今必要なのは、基地外ではなく「常識ある変人」であるらしいから。