MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

非実在青少年

先に、二次元及び非実在の世界に住む住人に謝っておく。
 
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東京都の条例(不健全青少年マンガ規制条例)が可決された。
コレに対しては、名だたる漫画家が反旗を翻していたが成立して下火にはなった。
反対派は激烈である。
表現の自由への国家的圧力である!
・職業漫画家への人格的否定をも包含する危険な弾圧である!
・つまりは思想狩りであり、その何たるかをお上が決めることへの危険・・云々・・
 
思想狩り・エロマンガの流通規制を懸念するお方には以下の賛辞を送りたい
 
 
くたばれバーチャル2次元!
万歳リアリティ3次元!
 
 
 
ゲームやマンガの世界というのは、実在から離れて休憩・治癒する場であり、
逃避の場所でも安全地帯でもないのである。
必ず実在に戻ってくる、という条件付の世界であり、無制限ではないのである。
「健康で文化的な生活」のための条件付反則の世界とも呼べる。
 
つまりボクは規制条例に賛成なのである。
 
ボクは、世界はシモネタで解読できると思っているし、シモネタ大好きである。
森羅万象はエロという記号で簡単に解釈でき、理解も早いと思っている。
(こう書くと「文化人め!」とアレルギーを起こすから厄介なのである)
じゃぁ、汁!しる!シル!のエロマンガはゴメン・・なのである。
 
エロマンガの大半は「非常識なお約束」を基線としており、展開もソレに準ずる。
キャラクターの設定はどうあれ、童顔巨乳でシモノ毛は少々・・という若い女子が対象である。
『天然おとぼけ』、とあれば、教えてあげる・・可愛いね、と下手に出て、やる。
『個性的高飛車でも寂しがり』、とあれば、擦り寄るか距離を置いて、やる。
『お嬢様』、という古風な記号も未だに重宝され、これも時間をかけて、やる。
前半『』部分が非常識な基線であり、コレを前提にされたら、実在は魑魅魍魎バッコである。
女性が若いみぎりに一時期持つ理想像もコレに近い。
「イケメン背高い頭良し、家柄良いが少し不良、いつも寂しげ窓の外見る」
というものである。コレに該当するヒトはおそらく王国の方であり、日本にはいない。
 
都の条例は「強姦を正当化する表現」と突っ込んだ(あ、シモだ)定義をした。
なぜそこまで定義したかと言えば「そこまでしないと判らない」からであろう。
・ 女は結局、みんな「したい」んじゃないですか?
・ 嫌だっていうのは好きの裏返しじゃないんですか?
・ 誰だって、SEXされたら嬉しくて濡れるんじゃないですか?
 
(むー、吐いてくる。ボクはこういうのが苦手だ)
 
↑こういう「非常識」には、きちんと「変ですよ!」と定義をあげないと判らないのである。
無論「萌え」であるから表現の一分野である!と強弁する輩は多かろう。
 
切り捨てる。
 
 
「萌え」とは性的欲求以外の全ての欲求である。
 
 
節約家も浪費も大食も趣味人もプロもアマも全ては「萌え」ているだけであり偉くはないのである。
そこに性的欲求が加われば、「萌え」ではない。
スク水が、ゼッケンが・・ショートのうなじが・・・食い込みが・・包帯が・・結構である。
30代が、新妻が・・巨乳が乳輪が・・・ストッキングの刺繍が、蚊の跡が・・あぁ結構である。
欲情しなければ。
 
都の条例は、幾分行過ぎたきらいはある。
「東京都」という身分は、残念ながら他道府県とは雲泥に違うのである。
独自の立法や施策も「東京だから・・」と中央官庁も一歩引くのである。
今は石原知事であり、その突出した過剰なまでのカリスマもあろう。
まず、都にさせてみて、様子を見て中央政府も動いてみよう。
そういう逆転現象が、都には許されているのである。
例えば北海道が「青少年は13歳以下とする!」と規制案をあげたら叩かれる。
 
法律より規制を強化した条例は許さない!
 
都だから、というゴネ得はある。
実験するにはサンプルが多いほどいい。
1千万という人口を持つ地域はほかにない。
比較した多数(都)で成功すれば、ほかはやむなき、とするのである。
 
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こういう動きを先手先手で抑えていくのが「2次元」の上手さであり、拍手である。
ラブプラスは「欲情」を基線にしていても「性的表現」は一切ないのである。
逃げ道ではなく、新たな王道として提示したのである。
老いも若きも、女子高生の一喜一憂につきあう、いや、つきあわされる。
萌えを獲得し、プレーヤーはリアリティという自らの時間を犠牲にささげる。
現実の時間を彼女達と共有し「呼び出し」があれば仕事中でも、子供といても、連れて行かれる。
いや、自ら行くのである。非実在のために・・。
 
ボクは「萌え」は魂の原動力として賛成する。
が「女というのは男の下で汁を流して喜ぶものだ」という思想は弾圧して構わんと思う。
弾圧してギャーギャー言う男はいないと思う。
アングラに玉座を求めるか、リアリティに打ちのめされるだけである。
 
追記
「表現を失った漫画家が精神的に病んだ責任はだれがとるのか?」
という義論があった・・・。
絶句である。
性的表現しかできない漫画家とは、いかなる漫画家であるのか。
更に!
精神的に病むことは悪であるのか!?
 
ギャーギャー言うのであれば「森山塔(現 山本某)」を読むのも一策である。
リアリティの方がよほど楽園である、という結論に達すると思うのであるが。