MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

美少年とは

男の考えるいい男と、女の考えるいい男は若干違う。
多分全然違う。
「王子様」という存在が実在できるのであれば、ソレが最高峰ではあると思う。
日本は王国ではないから「王子様」は難しい。
皇室はあるが、王子様というイメージではない。
日本で「王子様」というのは職業として危うく成り立つものである。
丸山明宏さんとか、池畑シンノスケさんが職業として確立したと思う。
 
「美」と「男」というのは相反する二つの記号である。
美は、俗と交わらず高貴で浮世から離れ、淫らを嫌い陶器のようにつるっとしている。
男は、俗であり幼稚で泥臭く、Hで毛深いのである。
美少年・美男子という言葉は矛盾であるが、その矛盾がエロス(Hな意味ではない)を包含する。
だからこそ長い年月を生き延びてきたし、未だにジャンルとして確立しているのである。
 
 
ビョルンさまは、それまでの「男」を覆してしまった。
汗や青春、ラブロマンスの主役としての狩猟的男性という記号を否定して実在してしまった。
ベニスに死すの監督が、キャスティングにあたり、周囲の意見を聞かなかった嬉しい誤算である。
「男性では無理です、女性でいきましょう」
原作を地で行けば、中世的女性で行くはずが、監督は北欧でタッジオを見つけてしまったのである。
コレがビョルン氏の人生を狂わせ音楽から遠ざけた。
ビョルン論は、女性のほうが詳細であるし、舌鋒も鋭いので譲る。
 
 
道原かつみ女史の描く「ラインハルトフォンミューゼル(ローエングラム)」は秀逸である。
ナヨナヨした飾り人形ではなく、高貴でいて大胆・知性に溢れた獣という、お手本の見本である。
少女漫画は、ビョルンという「素晴らしい素材」を手に入れたことで大いに躍進した。
少年漫画は未だに、おっぱいおっぱいと肩を組んで未知の世界を冒険している。
その間に少女漫画は、物語と人物像を深化させ、確りと「美少年」を作り上げたのである。
 
現在リアルに存在する美少年たちが「ギャップ」を売りにするのもいたしかたない。
生まれも育ちも似たり寄ったりでは、醸成すべきものがなく質が問われてしまうからだ。
外見はいいけど・・とリアルに切られてしまっては「イケメンだけじゃだめかしら」と萎れてしまう。
 
ボクはリヴァーフェニックスが大好きである。
StandByMeで好きになったという根っからのミーハーぶりである。
だから無骨で不器用な、素のリヴァーには取り付きにくかったが、
「斜視を気にするナイーブな青年」と知ってからはメガネなどを真似た。
リヴァーが胸毛やすね毛を露にしているのを見ては、自信をつけていた。
ボクは「ただの毛深いメガネデブ」であったのだが、そこだけに共通点を見出しては安心していた。
マイプライベートアイダホでは、ハワイの美風キアヌと夢の競演をしていた。
映画の内容などどうでもよかった。
ただ画面を見てうっとりしていた。
ボクはホモでもゲイでもないのだ。
「美少年」とはそういう陶酔と倒錯を同時に与えてくれる稀有なジャンルであるのだ。
 
 
リヴァー全盛期、お約束のカクテルドラッグでの死を報じられたときはショックだった。
が、少女漫画で彼、いや彼らは生きつづけるのである。
そして、リアルな年頃の女の子を虜にし続けるのである。
日本のマンガは世界でも「人物描写」で突出していると思う。
もっと「文化」として国費を割いていいと思う。 
 
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未だに眺める「写真集」である。
アスラン=ジェイド=カーレンリースは傑出した美少年であった。
ボクはおっさんながら、健康な美少女よりは薄幸な美少年が好きである。
ヘンタイそのものである。
 
情報社会、ゲーム社会は幸福である。
すぐに美少年に出会うことができる。
そしてリアルに戻れば、見ただけで下痢をしそうな男ばかりだ。
これは不幸である。
 
男は「草食」とか言ってヘラヘラするんじゃない!
それは「ヘタレ」というのだ。
いいか?「ヘタレ」だ!
待っていれば「理想の女」が来るほど現実はバカじゃないのだ。
美少年をうらやんで雑誌などで勉強しても無駄だ。
ソレは、ないものねだりの時間の無駄というものだ。
オシャレだけど髪型は今風だけど・・ブサイク。
基本をおろそかにしないでまず自分を磨きましょう。
ボクみたいなオッサンも頑張っているのだ。
 
少年よ大志を抱け。
 
犯罪以外で。