MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

自己啓発という本

書店が大好きである。
どちらかといえば「本屋」の方が好ましい。
おじちゃんかおばちゃんがエプロンで座ってて、顔なじみが来ると饒舌になる。
顔なじみは「ダイコンが安かったから買っといたよぉ」と置いていくだけで客ではない。そういう本屋だ。
生活の中に本があって、「どう?いい本ある?」とおっちゃんが聞いてきて、
おじちゃんも『あぁ、コレなんか若いけど頑張ってると思う、あ、○○さんならこっちかなぁ』とすっと差し出す。
いいなぁ、こういうの少なくなったなぁ。
神田神保町に見に行かないとないかもしれない。
 
大型書店は蔵書は多いようだが売れ筋のみに偏っていて、ボクは読む本がない。
ボクの趣味が偏っているからそれでいい。
大型書店は多数決で発注をかければいいのだ。
アクセントはその都度、バイトなりパートが頑張ればいい。
店長が張り切っている本屋はバイト以下が萎縮するので良くない。
 
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それにしても自己啓発本の多さだ。
生き方のマニュアル本どころではなく、息の仕方、メモの取り方までもマニュアルというか、
成功したヒトに倣え、学べ、という押し付けがましさで、表紙で積まれるほど吐き気がする。
 
・ 東大生100人のノ-ト
・ 社長はメモを取らない
・ 金のたまる主婦ほどレシートは捨てる
・ 上司が、むかつかない会社はない
・ キレイなスーツの奴ほど捨てられる
 
どうにも根拠がないただの脅しである。
東大生とか社長とか主婦とか、なんだか無視できないキーワードで脅すのである。
レシートで青息を吐いていた主婦は、はっとする。
メモでも憶えられない社員や役付きは、しまったと思う。
第一印象を!と息巻いていたフレッシュマンは叩きのめされる。
もっと「本」は責任を持って欲しいものだ。
それで詳しく読んでみると「・・・という生き方もあります」という逃げ腰である。
いい加減にしろ。
東大、といわれたら、じゃぁ勉強ができるかも、と思うじゃないか。
社長、と言われたら社長になれるかも、と思うじゃないか。
上司、といわれたら自分の上司だ、と思うじゃないか。
言葉には権威があるのだ。
権威とは「ホントにそうなの?」と考えることすら止めてしまう危険があるのだ。
(ボクらウツ人は、医師だから、と効くかどうか判らん薬を飲むのだ)
出版社も表紙だけで買えばしめたモン、と開き直っているから救いがない。
権威にぶら下がった本。
カーネギーの、ニーチェの、有名選手の、大手社長の・・・・。
「権威」というさわり心地も何もないモノに責任を預けて、著者だけが名を売ろうとはおこがましい。
ひどいのになると作者が「○研究所」とか「○の会」とか断ってあり、書く側の責任は初めから何にもない。
 
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ボクは自己啓発の本も読む。
ただ、成功したヒトというのはその下に何百の失敗した(成功のイケニエにされた)ヒトがいると思って読む。
全てがうまくいく人生などないのだ。
少し形容詞というかマクラを添えてやると、啓発本の胡散臭さが出てくる。
やってみよう。
上の
を読んで欲しい。
さて。
 
・ なぜか受かった東大生100人のノ-ト
・ 有能な秘書のいる社長はメモを取らない
・ 親の代から不動産を持っている、金のたまる主婦ほどレシートは捨てる
・ ヒトとしてむかつく上司が、むかつかない会社はない
・ 顔も性格も悪いなら、キレイなスーツの奴ほど捨てられる
 
少し、身近な感じになっただろうか。
少し、権威が剥がれただろうか。
少し、ほっとしただろうか。
 
またこれから本屋に行って来る。
 
そういえば「ウツは本当か」という本の見出しもあった。
 
「オレはなったことないし、判りたくもないけど、ウツは本当か」と読む。
なるほど、ウツを攻撃したくもなるんだろう。
 
売れる本があると、そのアンチを出して試す。
本が売れないから出すほうも大変だ。