MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

死んでいい?という失礼

迷惑メールが多い。
大半はどこで誰が登録したのか「出会い系」である。
ボクの古い記憶(学生時代の怪しいバイト)でも、
乱数で電話番号をかけてつながれば何度もかける、ダメなら削除というプログラムがあった。
今は、乱数もソレほど乱れなくてもアルファベットと数字の組み換えでかなりのメールサーバにつながる。
毎朝、毎晩、迷惑メールが来る。
『今すぐHできるってうまい話が・・あります』とか、
『九条しずか です、今晩あいてますか』とか、
『男性会員が足りません。今すぐHできる女性のログインは324名です』とか・・
初めのひとつは笑って消す。
次も少し迷ってから「九条しずかってどこの貴族で何のしずかじゃ?誰じゃ?」と消す。
最後は、少し感心する。
全部嘘だと知ってはいても、全国にはそのくらいの女性と倍の数の男性ぐらいいるんじゃないかと思う。
333名なら嘘っぽいが、324名というのがうならせる。
『有名私立大学合格者527名!』とかいう塾の大看板みたいな、説得力はないが大嘘でもないという感じである。
でもHメールには辟易している。
ウツ人になってこっち、パンツの中の粗品は用足し以外には10中9.9は使ったことがない。
指の間のYゾーンだけで盛り上がれた中学生時代はまさにバブルと過去に消えたのである。
 
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もっと迷惑なメールもある。
ボクは基本的にメルアドを教えない。
アドレスというものも最近まで持たなかった。
メルアドは会社にも家族にも教えない。
自分でも忘れている。
『メルアド教えてください♪』と言われても「持ってないです」で会話は終る。
それでも教えることはある。
メンタルの友人で、どうにも今にも死にそうなヒトには教えてしまうことがある。
そしてもうとんでもない時間にメールが来るのだ。
ボクのミスではない。
ボクは自分が「関わったらとことんまで」という人間なのを知っているので、そこを踏まえて教えている。
昼夜問わず、連絡があれば(すぐにではないが)メールをする。
ウツ人として偉そうに提言はできないが、
何か話をして「死にたい」を薄めてぼやけさせることぐらいは、できる気がする(ここがおこがましいのだが)。
大抵は、手首を切ったとかODしたとか、どこそこのビルの上、どこの駅の線路にいるといったメール。
ボクは血がダメで、ざっくりと切れた手首の写メなんかが添付してあると、魂が二回は抜ける。
ボクは北海道なので、メールの主も、ボクが行けないことは知っているのだ。
そして、ボクは何もできないが何かをしようとすることを知っているのだ。
ソレをわがままめ!自分勝手め!とは言えない。
何でも苦しかったらメールをしなさい、と教えたのはボクなのだ。
すぐそこの死を見せつけ教え、そして死ななかった、安心したでしょ?という不可解な感情。
そのヒトの悪癖なのか、常軌を逸してはいるが会話なのか、そんなことは判らなくてよい。
全ては心の病が仕向けていることなのだ。
少なくともそう思わなければメールの返事などできない。
 
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最近も迷惑メールが全くないわけでもない。
一人が良くなれば必ず悪くなるヒトもいる。
総数で考えているわけではなく、どうしてもそうなるのだ。
ボクもいつも正常な判断はできない。むしろ異常な方が多い。
自分が死にたいのに、死んではいけない、とは空々しいこともある。
それでも「生きてこその・・」と拙いメールを送る。
アレでよかったのか?と思って少し後でメールしてみると、つながらない。
電話番号があったかな?とはじめて電話しても電源が入っていない。
「わがままなだけのヒトであってくれ・・」と心底思う。
自分が関わって、何もできずに死んでしまいました、では悲しみまでも遠いではないか。
 
色んな方からメールアドレスを教えてもらうことが多い。
ボクは多くを登録せず、あるいは登録しても消してしまうことが多い。
そのヒトとつながる責任というものから逃げているのだと思う。
「どうにもならない死への欲望」を何とかして共有して、一日でも多く歩いて行きたい。
そういう考えは「死ぬことしか考えられない」という生き方の前には脆く軽く何よりうざい。
「死ぬから。ありがとう」そういうメールの文面の軽さからは、限界を超えてなお想像しがたい悲しい重さがある。
ボクの信じる「せめて生きましょう」などという言葉は、死を見つめるしかないヒトの前には言葉ですらない。
ただ輪郭のぼやけた、根の浅い木の様なものだ。
寂しい歩みを止める障害物にもなれず、止まれの標識には程遠く、無視され軽く倒されていく。
 
 
 
 
「あなたのチン○を待ってま~す」
そういうメールの方が微笑ましいのはつまらないことだ。