MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

歴史が創られるということ

ひどいぐらいのご無沙汰である。
皆さん、はじめましてアンドお久しぶりです。
更新しなかった理由は、特にはない。
多分、足が臭いことによる食欲減退とか、生え際の後退による精神的不調である。
ボクは生え際と体重以外は大して変化していない、と思う。
 
が、この数ヶ月間で時勢というものは変わった。
ギリシア金融危機を、EU圏としてどう守るか、いや見殺すべきだ、とかそういった殺伐とした政治的駆け引き。
 
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いつも新聞の国際面はこの2ショットが出ており、ボクは付き合ってるのだと思った。
左が熟女のS嬢で、右がドMの俳優でジャン=アレジの従兄弟である。
ウソである。
メルケルドイツ首相とサルコジフランス大統領である。
メルケル女史は女でなければ、コールを越えていたと思う。
サルコジ氏は・・・特筆がない。私生活と下半身はルピャ~ン4世♪である。
ユーロ圏は崩壊寸前、という専らの噂であるが、
国債格付けが半年ごとに落ちる国には言われたくないであろう。
日本円がクズになる日は近い、というか多分もう来ていると思う。
財テクの話が盛り上がらないのは、簡単理由がある。
「日本円で何とか設けましょうというヒト」が逃げたかいなくなっただけである。
日本では、東日本大震災の傷は、まだまだ癒えない。
そもそも癒える傷などというのはないのだ。
大切な家族や思い出の品を、数え切れないほど失った膨大な人たち。
失ったものは、どんなに埋め合わせても戻らない。
傷というのは、地面の穴みたいに簡単なものではないのだ。
 
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多すぎる被災者も原発の関係者も「歴史を創った当事者」である。
歴史の当事者であるから、どこまでもいつになっても追われ、傷つき、前に進めない。
本人たちは歴史の当事者になんかなりたくもなかったと思う。
テレビの前で、あるいはニュースなんか関係ない、歴史の傍観者であればと言うに違いない。
災害や戦争というのは、後世への警鐘として、いつまでも語り継がれる。
が、当事者には語り継ぐべき義務はない。語りたくないことしかないのだ。
 
ボクはウツ人としてどうだろうか。
この数ヶ月の空白を、凝縮した生で埋めてきたであろうか。
否。
ボクは語るべき何も持ってはいないし、義務もない。
義務がないから、いい加減で、余計なことまで書いているわけだ。
勝手に書くし、勝手に書かないし、勝手に寝る。
が、ボクという歴史の当事者としていい加減というわけにはいかない。
今日という日の過ごし方、生き方が、明日には歴史になっているのだ。
「歴史」などというと、他人事で関係ない、誰かが勝手につくるものに思える。
が、クニが一日で滅びたり、家族が一瞬でいなくなるのが歴史なのだ。
ウツ人への死へのような残酷さは、歴史の好物なのだ。
あぁ、あの日が分岐点であったのだ・・そうやって感傷に浸る隙を歴史は許さない。
歴史は、いつも当事者に全力を望み、限界を超えることを要求する。
振り返ったり、立ち止まって深呼吸することを、歴史は嫌悪する。
昨日と同じでした、という今日の歴史はない。
明日も今日とほぼ同じでしょう、などという脳天気な天気予報は歴史には通用しない。
 
ボクは少なくともボクの歴史には責任がある。
明日のボクが許さないような今日は、やっぱり気が引けるのだ。
そうやって自信がないウツ人は多いと思う。
顔を上げて欲しい。
あなたはあなたの歴史を創っているのだ。
過去のあなたは現在のあなたを否定し、軽蔑するかもしれない。
あなたは胸を張って言ってやれば良い。
『ここまで歩いてきたのは自分だ』と。
『お前はここまでこれるのか』と。
歴史は決して止まらない。
ひどかった昨日。何もなかった今日。憂鬱な明日。
そういう一日も、来週には「先週」と括られてしまう。
それが歴史と言う奴のおおざっぱでひどいところだ。
自分の歴史。
せめてもう少し長~く続けてみてもいいのかもしれない。