MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

天罰とは

天神とか天使とか天衣無縫とか天網恢恢とか・・
とかく「天」は神の領域で完璧で抜け目がなく公平で残酷である。
人知を超えた遠いところに、天の力がありそれは無限で無責任であるともとれる。
 
 
イメージ 1
 
だから
ヒトは自分で責任が取れなかったり、あるいはとりたくなかったり、
誰かのせいにしたいけれど、どう考えても自分にしか責任がない場合に使う。
・天罰
・天に見放された
・お天道様が見過ごさない
・天に誓って
 
天に誓うのは絶対に自信がないからで、約束の場合は破る前提である。
『天に誓ってウソじゃないよ!』
 
ウソでしかない。
ウソじゃないなら約束相手にきちんと誓約すればいいのである。
 
『私が見逃してもお天道様が逃さないよ!?』
 
よく近所のおばちゃんに言われた。
お天道様に転嫁せずとも、おばちゃんが見張っているといえばいいのだ。
おばちゃんは今も昔も、おそらく100年先も「何でも良く見ている」生き物だ。
 
・天罰
・天に見放された
 
天罰は一時期、禁句となったが、人災じゃなければ天罰というしかない。
天に見放される、のは言い訳でしかなく、結局は自分の義務と努力を放棄しているのである。
 
ウツ人は天に見放されているか?といえば、見放されていない。
ウツ人が朝起きて昼に動いて「お天道様」に見守られているかといえば、多分、関係ない。
何でも自分の責任に感じるから、天に転嫁(ムム、いいシャレだ)することは考えない。
ウツ人は、天とか神とか、そういう人知を超えたものを基本的に信じていない。
神頼みするのは、あと一歩でどうにかなる場合であり、
ウツ人にはあと一歩とか、そういうすぐ先のことも考えられない。
パワースポットとかヒーリングやスピリチュアルは一切信じない。
言い方を換えよう。
他人事にする場
パワースポットとかヒーリングやスピリチュアルは一切信じない。
言い方を換えよう。
暑苦しい場所とか悪徳催眠や元気の押し売りは一切信じないのだ。
天は自らたすく者をたすくという。
頑張っていれば天は見放さないのだ。
だからウツ人は見放されない。
頑張っていないウツ人というのは聞いたことも見たこともない。
『もう・・ダメです』と泣いてばかりいるメンタルの特集をたまにやっているが、アレはいけない。
いくらスポンサーからいくらかもらっているからといって、泣いて寝てばかりいるウツ人というのはいない。
いないのだ。
みんな、泣いても寝ても、結局は何とかするしかなく、何とかするのはいつも自分でしかない。
ジタバタと要領悪く、ナメクジのようにハロヘロとはいずって進んでいるのが現実である。
寝てばかりいるのは多いが、泣くヒマというのは、天に誓ってない!
 
 
 
さて、ボクも天罰は信じない。
基本的に、誰も見ていなければ悪事も不道徳もOKと考えている救いのなさだ。
世界禁煙デーというのがあって、朝から天に向かって思いっきりふかしてやった。
その日の仕事は特に忙しく、全身汗ばんで、靴下にいたっては嗅げば下痢をするほど臭くなった。
靴下はその辺の床にすりつけてやった。
同じ日。
なぜか屋上にいたのに空から何かふってきて頭にこつんとあたった。
画鋲?ガビョーン・・。
床にすりつけた靴下には、どこの何だか知らないがトゲがささっていて、いつまでも不快であった。
 
イメージ 2
 
天罰は、やっぱりあるらしい。