MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

枯れない樹

3日だけ帰省した。
妻の実家である。
自分の実家?は暫く行っていない。
ボクにとって父に近い叔父の墓参に行くくらいだ。
きちんとした帰省は、両親どちらかの葬儀になると思う。
そういう歳になった。
2年間は、まるまる行っていないことになる。
結婚すると、男と云うのは妻の家族に軸足が移る。
女は実家に入り浸る、と云うのが一般的であるようだ。
実家にすら戻れない、と云うのはよほどの事情が有るか、甘ったれであるのだ。
道理である。
結婚は擬制的な「親子」であるが、元々は義理の家族とは他人である。
そこにイチから親子同様の関係を築くとなると、時間は相当にかかる。
好きなもの同志が結婚したのだから、その家族とは別に・・いいじゃん、というのが現代的?なのか。
『姑とうまくいかない・・舅ともうまくいかない』
良く聞くナキゴトである。
『うまくいかないから離婚した』
本末転倒である。
家族とうまくいかないぐらいで、決めた人と別れる・・ソレも絶縁しない・・距離を置いて居座る。
ボク個人としては、納得のゆかない「結婚観」である。
 
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ボクは20年以上も妻の実家に入り浸っている。
最初は義父は性格的に怖かったし、義母の穏やかであるが徹底した現実主義にも参った。
それが、今では事ある毎に顔を出す。
義父に怒鳴られるのも、風が強い、ぐらいにしか感じなくなった。
義母の、節回しはすっかりファンになってしまった。
萌え~である。
ココに至るには、残念だが捷径はないのだ。
自分を見てもらうことと、長い会話があっただけだ。
好き嫌いはどうしたって生じる。譲れないところはお互い様だ。
性格的な、あるいは生理的な不一致。
そこを通り越したところに信頼があるのであり、飛び越えたところに感謝が生まれる。
 
ウツ人になって、義母も義父も相当に困った。
そして、愛憎を通り越してボクを受け入れることを決めてくれた。
一年二年は、言葉も文字も事実には足りない。
ボクは「娘の夫」それだけでしかないのだ。
が、娘の夫、それだけでしかなければ、現在のボクは存在しない。
ボクが少しずつ積み重ねた信頼とか人となりがあったから、多少は大目に見てくれた。そう思いたい。
(無論、義理の両親からすれば「もう結構」ということは一回では片付かないであろう)
もう10年も前、義父は言ったことがある。
 
『病気だからもう知らん!というわけにはいかないべさ・・?』
 
義母も妹も何度となく言ってくれた。
 
『最後には、ココにくれば、何とかなるべさ?』
 
それにぶらさがった10年。しかし10年はただの時間ではない。
そこに義理すらも越えた家族の人柄がある。
ボクも頑張ったが、家族はその数十倍は頑張った。
ウツ人との間合い・・・それは経験しなければ判らないものであり、大抵は判らず仕舞いなのだ。
 
 
実の両親は言うだろう。
『寂しいね・・あんたはうちの子なんだよ?』
『まず、実家を頼りなさい?』
しかし、ボクは思うのだ。
子供を持って尚更思うのだ。
 
どんなことがあっても子供は見捨てない。
見捨てる、そういう選択肢が浮かばない。
 
ボクの親が真っ当なら、同じ気分であると思う。
だから、ボクは実家を頼らない。
・・・いや、カネの工面を何度もしている。
頼れるところは頼りまくっている。
ただ、生か死か、そういうときにはなるべく家族には言う。
滅多に、殆ど・・言わない。
ソレ、生死を「いつもの切り札」にしたら、人としてオシマイだと思うのだ。
 
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義理の家の庭にあるオンコ(イチイ)である。
北海道ではお馴染みの常緑樹である。
外見は、一見するとすっかり枯れ果てている。
電線などからまって、電柱扱いだ。
枝は樹上にしかない。
一時期は、ボクの頭髪くらいしか葉がなくなり、いよいよか?と思われた。
最近は、葉は毎年青々と力強い。
雪も風も、淡々と乗り越える。
 
歩いてきた10年とは、こういう風に時間でははかれないだ。
血縁も地縁も、水と光を絶やさなければ、決して枯れない。
枯らす、というのは自業自得の人災であり、樹は自ら枯れることはないのだ。
枯れない樹。