MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

誕生日にあたり

自分の誕生日はいつも忘れる。
弟の誕生日も前日と翌日に気付き、当日は忘れている。
天皇誕生日も、毎年あるが毎年忘れる。
特段めでたくないものは忘れるらしい。
 
娘が近く誕生日である。
コレは毎年一ヶ月前くらいからソワソワする。
胸が躍る。
同時に動悸もする。
一方で無事に誕生日を迎えられるか?という不安がよぎる。
一日先、一秒先は誰にだってわからないのだ。
ウツ人である限り、消えない不安。
追いかけてくる絶望の残滓。
 
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娘は毎年、きちんと誕生日を迎え、毎年タケノコのように大きくなる。
それに対して、ありがとう、と思う。
ボクには、満足な生活、と云うものは判らない。
最低限度の生活、そういう曖昧なのも判らない。
自分で判断基準を創って、自分で評価しているので、比較をしない。
だから判らない。
娘は年頃のことを一切言わない。
 
『○ちゃんはお部屋があるって・・』
『○ちゃんは服がかわいくてきれいで、勉強ができて・・』
『○ちゃんはDSを2台も持ってて・・』
 
よく聞くが、娘からは聞かない。
いつも行く店はリサイクル、家電にも家具にもある「定価」を娘は知らない。
服は古着、リサイクルの半額のバーゲン・・もはや定価など霧消の彼方である。
床屋はボクが切るから、とんと行っていない。
 
寝室を大きく縮小して移動し、元の寝室を代わりに娘と息子の部屋にした。
 
『私・・夢だったんだよね・・部屋』
 
小さな夢に、親が気付いていないわけがない。
だからそうしたのだ。
プレゼントは買えない。
金の問題も有るが、そうではない。
娘は物欲がないのだ。
ほしいものは、きっと当たり前のもので、我が家にはないもの。
ソレには応える自信がない。
だから、今年も娘を描いた絵本を創った。
多分、ゴミになる。
それでも毎年創る。
今年は、手のひらサイズの、いかにもな「ゴミ」となった。
20ページほどをパラパラとめくりニヤニヤする。
アホである。
手元から絵本が転げ落ち、ゴミ箱に入った。
身の程を知っている絵本である。
落ち着け。
まだゴミではない。