MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

のび太がいなくなった

学習障害児童への家庭教師。
そういうボランティアをしている。
どこにも登録はしない。
面倒くさいからだ。
行くと児童じゃない場合も多い。
親からの相談・聞いて欲しいだけグチの場合も多い。
 
学習障害とか広汎性云々とかADHDとか区分されるヒトがいる。
子どもだけではなく、大人にも多い。
ボクの大人の定義は「毛が生えている」ことである。
ADHD注意欠陥多動性・・・つまり少し、いやかなり落ち着きが無い。
予定時間に来ればまだ良い方で、相手なりにアレコレ悩むから、予定の時間に全く始まらない。
始まらないと終らないから困る。
無論、ボクの方から出向いているから、時間がダラダラと漏れていく。
19時予定が24時に始まり、明け方に帰ることもある。
無償でなければ、やってられない。
 
お相手は、手ぶらで現れて、ボケーッとしていたり、テレビの方ばかり見ていたり。
教科書かと思えば、料理の本で、読者の投稿ページだけを見ている。
ボクの前に座るまで長い。
本人がすぐにそうしたくても、できないのだ。
他に注意がいっている。自分の予定とか日課とか、そういう個人的なものが最重要である。
かといって、何か些細なことがあると、例えばボクの携帯が震えだしたりすると、気にする。
帰った方がいいです、とか、何かあったら・・メール返さないんですか?と何回も聞く。
すみません、を連発する。内向型自省型と云うやつだ。
確かに、変といえば変である。妙といえば妙である。
ただ、奇抜さも目新しさはない。
ボクの同級生にも友人にもこういうのは多かった。
教室から小さな煙が見えたら、飛び出ていって帰ってこない奴。
急に『あ!』と吼えて、机につっぷして泣き、出て行く奴。
そして、それにずっと付き合って、やっぱり帰ってこない奴。
こういうのは迷惑型とか云うが、別に迷惑どころか面白い。
 
今は、すぐに何らかの診断がついて、ハイ通級!とかなるそうだ。
特殊学級ではなく、一定の科目だけ、格別の扱いを受ける。それだけ。
世間が言うほど、平均学力は下がっていない。
平均なんて、統計の一番得意なインチキで、インチキを指標にした政策や教育自体詐欺なのだ。
詐欺に座って、カネなど取れないから、ボクはボランティアである。
脱線。
今は、10人いたら、9人がすごくできて、1人は普通なのだ。
全教科「できる」のが今は普通なのだそうだ。
少しでも??となると、とりあえず通級。
生ビールじゃねぇんだ。
なんだか面倒くさいなぁ、と感じる。
一芸に秀でるとか、普通の中の普通と云う子どもは少ないのだ。
ドラえもんが流行らないわけだ。
のび太くんなら、普通学級も難しいだろう。
彼は努力もしないし、着替えもしない。
テストで名前を間違え、空白を全部埋めて0点と云うのは、異常を通り越してドラえもんすら来ない。
みつおくんだって、パーマンであるために命を張っているのだ。
ブービーなんて掛け値なしにサルだ。
のび太くんだけ免罪にはならない。
シズカちゃんも普通すぎて、可愛さも中の上、むしろキレイ好き過ぎて通級。
のび太くんとの素敵な出会いは無いからセワシくんは生まれない。
やっぱりドラえもんは来ない。歴史ってすごい。
スネ夫は、ミクシィやラインで散々に騙して騙されて、破産する。
ジャイアンは、14歳を待って逮捕される。
出来杉は、周りがみんなできて、普通になるから、普通杉となる。
つまんないなぁ。
 
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さて
病気という看板を揚げられて、本人や家族が困るケースも多い。
勉強はできるのだ。すごくできるのだ。
ただ、会話ができない。
言葉のキャッチボールをしようにも、勝手にブン取って走り出し『トライ!』とかやるのだ。
空気が読めない。
ボクの顔をじっと見つめて『彼女いないでしょ?』などと笑う。
あ、愛人のことか?
ボクも空気は読めないし、むしろ汚すのが好きだから、ドロドロになる。
 
病気という看板を揚げられて、本人や家族が喜ぶケースも多い。
成績不振や素行不良は私の育て方じゃありません。立派な病気だったんです!と言う。
上下ねずみ色の、毛玉だか裏起毛だかで、ニタニタしながらタバコを吸っている母親。
父親はパチンコで勝ったから戻らないだろう、とか。
病気自慢は猫も喰わない。
それ以前に、何だこの家は。こんな家庭は、今は珍しいのか。
ボクの子供の頃は、いっぱいあったし、今少ないだけなのか。
ボクの頭を友達の記憶が廻る。
父親は遠くの刑務所で、母親はシンナーとガスボンベを吸っている。
姉さんは春を売っていて、弟である友人が客をとってくる。
ボクは、その姉さんのキスひとつ欲しさに、タバコを届けた。
アレは普通だったのだが・・今は違うのか。
普通と、普通じゃない、そういう乱暴な線引きが、どんどん増えていく妙な感覚。
 
学習障害関係者の会合にも参加したが、どうにもつまらない。
深刻なのは判るのだが、それで誰も死なない。
会合にもテーマにも、部屋を借りて話す意味も、ボクには判らない。
「変に見られるのが嫌だ」と云う体裁を除くと、お茶とポテチ以外何もなくなる気がする。
子どもの将来を考える前に、親ってのは死ぬのだ。
今は見事に長寿で、親が死ななくなった。
余り、親は干渉しなくてもいいのだ。
毛が生えたら大人だ。