MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

教え子

ボクはかつて教え子だった。
当たり前だが、そうでもない。
ボクは勉強は出来るが頭が悪かったのである。
テストでは100点を取る。
授業を聞いていさえいれば出来た。
判らないなら図書館とかで調べたら判った。
他のヒトなんて考えやしない。
どうしてテストなんかやるのか?どうして間違えるのか?そういう疑問を抱いていた。
全く、頭が悪かった。
勉強ができると先生たちは「とりあえず安全な子」に区分して、ボクは安全権にいた。
そこで安心すればいいものを、プラマイで悪さができる!と考えた。
そして盗んだり、殴ったりしたのである。
無論、同じ数だけ殴られたり蹴られたり、こっちはやっていないのに刺されたりした。
殴ることと刺すことは、結果が違うだけで動機は違わない。
そこを判らず、損した気分になっていた。
更にそういうことをしたら、倍返しになって先生たちからマークされると思いもしなかった。
アホの極みである。
 
だから、高校くらいになると益々大人しくした。
少なくとも目に付かないところに潜り込むようになった。
止めてくれない、絶対に助けが来ないところに行くのである。
そして海に沈められたり、山に捨てられたりした。
何も学習していなかった。残念。
しかし、そういうところに仙人まがいの達人がいるものである。
学習しないことを尊び、価値観を自分で創るような乱暴な仙人である。
もちろんイライラして怒ったり、誰でもいいから刺したりはしない。
その代わり笑いながら半殺し、疲れたから全殺すのである。
そして戦争には反対していたりする。
女が女と付き合って、男を家畜のように使役したりしている。
そういうのは勉強もハンパなくできる。
模試とかで、偏差値が「-」となっているのだ。
平均点が低くて、そこで満点をとったりすると出るらしい。
古き良き時代である。
怖いのは、彼女らは判らないことが判らないのだ。
社会に出て行って何をするのか、とても興味があったが会いたくもない気もした。
 
ボクはそういうのに勉強を教えていた。
なめられると聞いてくれない。
バカにしたら本気で命が危うい。
だから毎日全力だった。裏表を使い分ける余裕がなかった。
彼女らは、学校の卒業式には出ないクセ、ボクのバイト先には挨拶に来た。
あぁ、殺されずに良かった、と思ったものだ。
当時からボクの銀英伝狂いは知られていたから、贈り物に小説がダブったりした。
金髪碧眼に着飾ったお人形のようなヤンキーの彼女らはボクを先生、かあだ名で呼んでいた。
『オスカルさん』とか『ロイちゃん(笑)』と呼ばれて、なんのことやらサッパシだったが、
 
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今思えば、彼である。
ボクは当時、顔だけはすっごいかっこよかったのである。
 
(笑うとこじゃないしょ?)
 
かっこよくないと塾も家庭教師もチェンジされる時代だった。
顔だけで、学力はなかったから、たいそう苦労したのである。
金髪碧眼のアジア越えの美ヤンキーは、偏差値も70越えだった。
無論、駿台である。
 
 
今でもボランティアで教えている。
北海道は、札幌とソレ以外、と云い凄い雑な分け方をされるが、実は正鵠を射ている。
全てが札幌に集中し、その他は、そう・・・高校すら存在しないのだ。
偏差値70越えのレアキャラがいても、地元の35の高校に行くしかないのだ。
電車に乗っても、選べる高校は偏差値50以下。
なぜって?
飛び級の制度もないし、教えられる教師もいない。
行政も、高校は電話BOXくらいの配置しか考えていない。
何より、高校から一人暮らしをさせる余裕が親にないのだ。
教育の格差とは、身近過ぎるところに転がっているから無視される。
貧しいものが教育を受けられない、ということもある。
そして、持つものが、持たざるものとクソミソ一緒にされる、ということも格差の弊害である。
平等・調和・均等・中庸・協調・・・クソクラエ。
赤魔道士などパーティーではクソの役にもたたないのだ。
一手に秀でたものの寄り合いこそ教育だと思うのだ。
 
ボランティアとはいえ、プロとして教える以上嘘はつけない。
そうやって今日も明け方に帰ってきた。
疲れきっているが楽しい。
教え子には、勉強くらいで後悔してほしくないのだ。