神戸の事件
飯を食べに帰ってきた。
喉を通らなくなりそうだ。
神戸の事件。
最悪になりそうだ。
誘拐し殺害した。
損壊までした・・らしい。
また精神鑑定云々の話になる。
青少年の時期に適切な環境になかったとか。
理性の発育には家庭が不適切だったとか。
反吐が出る。
人を殺める時点で、まともじゃないのだ。
まして子どもを殺める。
親以外の大人を警戒し忌避する子ども。
子どもは、親の手を離れたら、誰を頼めばいいのか。
安全で守ってくれる大人。
危険で傷つけようとする大人。
両方には、外見的に何ら違いがない。
子どもに微笑む危険な大人。
子どもを避ける安全な大人。
精神がどうのこうのという問題ではない。
個人の問題だ。
弱いものに興味があることと、支配したいという行動は別だ。
一度踏み外せば、後がないことを知らなかったわけでもあるまい。
行為に及んでから、ばれたらどうしよう。
ばれないためには・・・。
子どもも怒る幼稚な思考である。
そう・・・思考はまともな狂人である。
一度、外れてしまった道。
ばれないようにしたからと言って、もはや外道である。
どんなに反省しても悔悛を見せても、誰も許さない。
少なくとも、親と縁者は、どこまでも許さない。
親の境遇を思うに・・・思い知れない。
妻と二人で、祈っていた。
息子も娘も祈っていた。
祈っても仕方ないときになったら、ボクはどうするんだろう。
つまらないことを考えた。
ボクも憎むべきを追って、まともに踏み外すだろう。
まともではない人間を、まともに裁くのがこの国のやりかた。
極端な例には、裁きを間違って欲しいとも思う。
裁き自体が要らないときもあるのだ。
もし自分の子どもが・・と思う。
例外を並べて、子どもに「大人を信じるな」と教えていく。
そうやって、その子どもが、また大人になる。
子どもは、いつから大人になるのか知らない。
ボクだって、今は大人だ、くらいである。
また子どもの安全について、議論になる。
後手になるが、しないよりましだ。
ただ、地域の連携とか、教育現場がどうのとか、そういうことではない。
子どもに、自分を守れなんて言えない。
言いたくもない。
「やばそうな大人はやっちゃって良い」
そう言ってしまうと、ヒトがいなくなる。
ヒトでもなくなる。