MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

妖怪ウォッチとドラクエ

妖怪ウォッチが凄い。
というのを聞いた。
子どもたちは、『ゲラゲラポー♪』と口ずさんでいる。
お年寄りも、『大吉メダルは高いから・・』とぼやいている。
スーパーで買い物がてらに出る話なんだろうから、時事ネタである。
凄いなぁ。
 
ボクの子どもは、電子ゲームをしない。
(電子ゲームって・・古いなぁ。)
欲しがったら買うか、ぐらいであった。
娘はゲーム文化になじまないので、息子に買った。
妖怪ウォッチを買ってみた。
兄弟ではまった。
ボクもはまった。
 
ボクは1からのドラクエ世代である。
1は、マリオやスターフォースなんかのアクション全盛に、ファミコンとしての初のRPGだった。
PCではウィザードリィとかイースとか、それらしいのが多かったが、シミュレーションが主だった。
友人とやったが、どこも同じな地下洞窟が多く、方向音痴のボクには堪え難い苦行だった。
これも友人のすすめでドラクエをやった。
「こんぐらいのレベルならできんじゃね?」という話。
はまった。
みんなは、グラディウスとかシューティングの腕を競っており、
札幌の八百屋からハドソンに転身した腕力自慢の高橋名人が、子どものヒーローだった。
ボクも友人と連射を競って、息抜きのロードランナーで即効に穴を掘って落ちていた。
 
マリオの「幻のステージ9-1」なんかの話で盛り上がる中、ドラクエは勇気が要った。
渋いのだ。派手さがないのだ。
戦闘中の背景は真っ暗。キャラも動かない。
レベルが低いと遠くに行けない。金がないと泊まれない。初めの武器が弱い。 
町の人の話を聞かないと人生を見失う。
ふっかつの呪文を間違えると水の泡。
現実的なのだ。
 
ドラクエも2になると、時事ネタになり、3では強盗まで起こった。
鳥山氏が急に芸術家にされ、堀井雄二氏はヤバイおっさんから時の人になった。
スライムはかわいい代名詞になり、すぎやまこういち氏は古典を演らなくなった。
その頃には、ボクも兄弟もはまりきっていた。
あちこちの「洞窟やほこら」で腕を覚え、ダンジョンマスターを自称した。
調子こいて、友人のPCで最新のウィザードリーをやらせてもらった。
迷子で腹が減り、回復アイテムが底を突き、底より深い地下で撲殺まがいに死んだ。
PC恐るべしと思ったものだ。
この頃にはファミコンにもイースハイドライドが乗り込んで来ていたが、スペックが足りず低迷していた。
 
イメージ 1
 
長いな。
電車の中の方は、休憩してください。
 
 
ドラクエも4になると、すっかりRPGの王者として君臨していた。
少年ジャンプは、巻頭で袋とじをして、すっかりドラクエの広告媒体になっていた。
ゲームの進め方にも個性が出るようになり、兄弟でもめたりした。
ボクは、勇者を女にしておけば良かった・・といつまでもぼやいていた。
とっくにHでスケベだったのである。
アテナとかリリスとかいった二次元萌え系のネーミングで悩んでおり、既に半分腐っていた。
パーティーもアリーナや、ミネアマーニャの女所帯で、回復系と女の怖さをなめていた。
武器や防具は中の上を使い、高いモノは買わずに後々に備えていた。
その備えを、ちょっと遠出で全滅して失い、その日はずっと凹んでいた。
誰とも戦って、そこそこに負けて、良いぐらいで勝つ。
既に中流家庭を意識しており、極度の貧乏症だった。
 
弟はゴリゴリの攻撃系で、ライアンとアリーナが先陣、残りはそれ以外の扱い。
賢者や僧侶の類が嫌いで、すぐに死ぬブライは馬車のこやしだった。
武器だけは最高級のハヤブサの剣を装備し、防具は革の鎧に革の楯と云う一点豪華主義だった。
肉を切らせて骨を断つ!という戦闘を地で行っており、残りはライアンHP7!とかで切りぬけたりしていた。
「かいしんの一撃」は運ではなく自分で出す!という豪胆ぶりで、立ちはだかるボスを粉砕していった。
先陣が死ぬと進行を断念し、今日はこれまで!と、ゲームを切り上げ勉強していた。
 
下の弟は、バカが付くほど実直で堅実で、遠出はせずに足場を固めるのが最優先だった。
トルネコは武器屋の小間使いのままで、売り物の鋼の剣にいつまでも目がくらんでいた。
剣を手に入れてからの弟は快進撃で、愛着のあるトルネコはいつもパーティーに組まれたいた。
トルネコってこんなに凄いの!?」と兄に感心されるほどの強さで、装備には莫大なゴールドを投入していた。
はぐれメタルやゴールドマンと云った格好の投資相手を見つけると、能力をを無尽蔵に使った。
裏技とかを一切知らずに、投資しては回収しまくり、誰よりも早く、メタルキングの穴場を見つけて倒しまくった。
 
だから、ラスボスにはゴリゴリ君が早く着くのだが、倒せなかった。
上流を意識していたが、所詮中流。ボクも倒せなかった。
最後に来た実直くんが、教科書のような戦いで勝利した。
トルネコは、切っては捨て、突いては屠り、どう見ても商人ではない働きだった。
 
イメージ 2
 
息子は、ゲーム進行は元より、クエストを重視し、着実に歩を進める優等生だ。
危ない橋は渡らず、無理もしない。
お手伝いは率先して行い、夜になったら鬼が怖いので、慌てて帰って寝る。
誰でも友達にする。
名前もきちんと考える。
ボクはフーミンに「ほそわかふみえ」と付けて叱られた。
踊るワカメやコンブに「いしだててつお」と付けたときは喜んでいた。
いしだてはすぐに仲間になりたがり、てつ2からてつし、てつこまで10人近くいるらしい。
 
娘は、ゲーム進行も早いが、ボスをとにかく早く片付ける。
レベルが足りなくても、判断力で切りぬけていく。
ウォッチの反応には、本人が凄く反応する。
新しいことが大好きで、怖いものが嫌いなんだろう。
なまはげが大嫌いで、自転車でも、信号では押しボタンを押して待っている。
友達の妖怪には、名前を付けたがるが自分では恥ずかしい。
「おおわだバクさま」は却下された。
 
共通しているのが「鬼時間は怖い」である。
ゲーム時間が黄昏時になると、二人して慌ててゲームをやめる。
鬼と闘うなんてもってのほか!怖いものからは逃げないとダメ!
えんえんトンネルに興味はあるが、怖くてやりたくない。
だからボクは、二人分のえんえんトンネルだけ、やっている。
出口が見えると、子どもを呼ぶ。
この辺のタガは外れると、ボスバトルなんかも楽しめるんだろう。
 
長かったぁ・・・。
 
面白いのは、ゲームの進め方には、本来の気質は関係ないと云うところだ。
優等生が無茶を好み、ちゃめっ気君が堅実を好む。
逆や裏を読むこともできるが、それが正解ではないということだ。
乱暴だけれども、ゲームは丁寧に進める。
親切で大人しいからといっても、ゲームは別。
ゲームを使って隠れた気質を探るというのは、出来るかもしれないが、ソフト次第であり、危険だ。
 
現実じゃないから・現実じゃなくても・ゲームだから・ゲームだけど・・・
そういう狭間をどう解釈するか、
狭間に行き来するとき、どう線引きするか、
子どもにも大人にも個人差が出る。
事件が起きたからと言って、バーチャルに責任をとらせることはできない。
ゲームばかりだからと言って、非常識にする理由はない。
ゲームをしないからと言って、有能有用な理由もない。
いつの時代もそうだが、人間の限界がイコール文化の敗退であってはならない。