MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

神ってる

相変わらず、ダイジェストのニュースぐらいしか見ていない。
流行語大賞ぐらいしか、世相を知る術がない。
「神ってる」
そう聞いて、ついにエホバの証人あたりが立正佼成会を買いとったか、と思ったが違った。
良かった。

個人的に、広島には勝って欲しかった。
日ハムと広島なら、どっちでも良かった。
ボクは北海道民で、日ハムには思いひとしおである。
監督まで全員まとめて、巨人5人分くらいの予算で、ここまで強くなったチームを知らない。
他球団が「決意は堅い」と諦め切っていた大谷を口説いたのも、徳の成せる業かも知れない。
試合以外でも、神っていたわけだ。
札幌ドームを移転する話が出ているが、そろばんを弾き出すと人心は萎える。
転勤せずに、定住するからこその地元である。
本拠地があるからこそ、奇跡が起きるのであり、神業なのである。
勝利を待ち望んだファンから、絶叫に近い歓声が飛び、選手を包む。
絶望と歓喜がない交ぜになった、ある種危険な心理状態でもなお、
選手は、まだ先その先へと自らを追い込んでいく。
神とは、おそらくファンの思いの総体であり、選手に「業=ごう」を掴ませたときに、お互いが神ったのである。

ボクはエホバが嫌いである。
ご飯時でも、週末ののんびりモードでも、構わず彼女らはやってくる。
自分の徳のためなら、他人はどうでも良いのである。
自分がされて嫌なことなら、他人にはしない。
それが日本の美徳であり、儒教である。
親を兄弟を、友人を助けて大切にする。
なんら当たり前のことで、宗教ではない。

学校では道徳とかいって、そういうことを科目として教えている。
教えとして成立させた時点で、宗教である。
修身の方が余程、それらしかったが、もう遅い。
子どもたちは、自分に問いかけず、教えられたツールで徳性を養うのだ。
お年寄りがいれば席を譲り、通学路で大人に会えば挨拶する。
ボクは、インチキ臭いお年寄りを見ても席は譲らない。
座りたいなら始発から乗れ。
途中からなら、優先席に座る高校生に頼み込んで座れせてもらえ。
頭を下げずに、譲ってもらえるものは一円もないのだ。

会社に行く道は子どもと一緒なので、多くの子供に挨拶される。
ただ事務的に挨拶する子。目を見る子。微笑む子。
そのうち顔も見知ってきて、泣き顔だと気になる。
どう思われてもいいから声をかけてみる。
なるほど、子供ながらにそういうことか、という話が聞ける。
友達らしきが心配で見ているので連れてきて、一緒に学校に行ってやれと言う。
これでバスには遅れたが、翌日はありがとうという気持ちの良い挨拶をもらった。
ボクは、スーツを着ていても、多分変質者に見える。
それがありがとうと言われるのだから、偽善はあっても邪心はないというのは、子供には判るのだ。
お年寄りが道に迷っていれば、目的地まで連れていく。
それで会社を遅刻するのだが、そのくらいは悪ではないし、正義でもない。
正邪とは、極端であり、神と悪魔も極端である。
全ては相対的で多数決だ。
総体的な善悪の基準の中で、納得のいかない多数決で位置づけられながら、ボクらは生きている。
片方だけに両足を入れて、歩けはしないのだ。

ウツ人は悪と言われる。
病気を理由に自分から、社会への決断から逃げている、と言われる。
それは正しくもあり、同時に間違ってもいる。
逃げないからウツ人になるのであり、社会がウツ人という多数決を決めたのである。
ウツ人が神ることはない。
ウツ人を救おうと、神ぶるヒトは多い。
そして誰もウツ人を救えない。
宗教で救えるものが原因ではないのだ。

神ってる。
今は、トランプだな。