MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

残酷な天使のテーゼ

ヘーゲル哲学史上で重要な人物とされる。
会話にはしっかりと意味があることを、哲学的な解釈を交えて語った。
大したことではないことを、大したものに昇華させた、大したおっちゃんである。

暑いですね、こりゃぁ死にますね、という切り出しで始まる会話。
もっと暑いところもあると云う、返し。
涼しいところで水分を摂ってと云う、返し。
結果、こんなところで立ち話をしていること自体が危険だと云う、結論。
誰もが納得する収束、帰結。
それを「合」として、世の中の対話の理想とした。
合がないと生産性がなく、愚痴や不平不満だけで、誰もが寂しい気分になる。
前に進まない会話は、なんの回転も上昇も生まず、周囲は、吐き捨てた澱だらけになる。
夏場で高温多湿だから、汚い。

非の打ち所がない美女がいる。
大した経歴は持っていないが、自分を磨き続けた結果であろう。
無理な仕事も、そつなくこなし、交友にも交際にも奇々怪々はおらず順調。
常人は、そこに反証を求めるから暗愚である。
彼氏が痛い、とか、私生活は部屋が小汚いとか、親御さんが認知症で大変とか。
彼女自体が「合」に達している時点で、何らかの弁証を通ってきたというところにまで考えが及ばない。
無理な仕事を、軽くこなしているわけではない。
新人の頃は、経験の浅さに泣き、男社会の理不尽に憤っただろう。
長い時間のなかで、仕事を任せ、任されるコツを掴み、
持ち上げれば空まで上る、男の浅薄さを見切り、
同性の嫉妬や、格付けを斜にかわす、そういう処世術を身に着けただけである。
それを誇るか誇らないかは、個人の資質だから、仕方ないが、
仕事ができるヒトは、大抵、謙虚である。
非の打ち所がない、という命題が、そもそもどこの誰の基準なのか。
大抵は、つまらないヒトの小汚い脳味噌から漏れ出た嫉妬である。
順調なヒトにも道程があり、そうではないヒトも同じである。

みっともない男がいる。
自分を好きになれないが、自分以外にはなれない男がいる。
仕事が合わない。嫌いだ。
異性との縁がない。どこに行ってもある気がしない。
消極的を通り過ぎて、厭世的なのは、弁証がひとつもないからである。
給料が安い、仕事が合わない、と云うのは、ただのわがままである。
金が欲しいと云う命題がはっきりあるなら、検証すれば良い。
ひとつひとつ自給をあげる努力、それすらしたくないなら転職。
転職がダメなら開業、仲間との共同経営。
無茶な話ではない。
離職開業を念頭に置いて、セカンドワーク、サードワークを重ねているヒトは相当に多い。
今の仕事は金のため。
命題をぼやけさせずに見つめていると、次の道が光り出す。

社会的に下の方・・・それは嫌だ。
とりあえず卒業。とりあえず就職。とりあえず買えるもの。とりあえず無難なモノ、とりあえず・・
とりあえずで、命題を遠ざけ、それが積もると命題は見えなくなる。
厳しい意見には、ヘイトだ差別だと病的に反応し、独りで太刀打ちできないと助勢を募る。
それもネット社会での協調意見を見て安心するだけ。
マイナスはいくら足してもマイナスなのだ。
螺旋階段をゆっくり下って、命題を遠ざけているだけ。
何が欲しかったのか、そのうちに判らなくなり、大人とはなんだ、と問われても即答できなくなる。
自分は死人と同じではないか。
とっくに死人でもない。社会は、統計を取るとき彼を勘定に入れてもいない。
マイナスは、弁証には想定されていないのだ。
謹んでお悔やみ申し上げます。

命題とは、毎日毎日持ち上がってくる、小さな事象である。
そこを流さず、逃げずに抱えていく。
汚いと言われたら、キレイにする。
キレイと言われたら維持する。それだけ。
仕事の出来不出来は、大抵キレイキタナイで分別できる。
「できる男のカバンの中は。机は。PCは」そういう売り方、は整理収納と結論が同じである。
不用なものを捨て、必要なものを最大限に活用する。
捨てられるものにはヒトも含むが、仕方ない。
自分に反証を許さず、「合」を見据えない人間は、マイナス要素でしかない。

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エヴァの碇君は、有名なマイナスだけの人間である。
エヴァで戦えと云う無茶難題に、真っ向から挑んでいるが、多分挑んでいない。
逃げ場があれば逃げるし、他にいくらでも代わりがいると信じている。
有名にはなりたいが、死んだり痛いのは大嫌いだ。
スランプになる度に、見えない壁を打ち破り、吹っ切れたように怒涛の快進撃を重ねる。
逃げちゃダメだ!
戦うことへの反証に対して、何にも答えていない。
勝利と云う「合」へ導いているのは、寿命の一括払いである。
命をすり減らして、脳を麻痺させる「火事場のなんとやら」を連射する、若気の至り挙句の果てである。
そんなことが称賛されるのは、国も疲弊しきった下での軍人だけである。
父ゲンドウの言動でよくわかる。
「よくやった」
死ななかったから、そう言うしかない。
軍のアホな指揮官としては、シンジ君が死んだらどうするかと云う反証こそ必要なのだ。
今度は死ぬかと思ったら、また帰ってきた!どうすんだよお前の息子!
他の命題(戦いや適合者)に対して、弁証を進めなければならないところに、
いつも碇君を試してみるのだ。マイナスは足すだけ無駄なのだ。
周りは迷惑しているのだ。

自分はダメだ、と気づき始めたとき、あるいは確信したとき。
悪魔は、ダメなんだから諦めろ、それなりに楽しいぜ、と囁くという。
天使は、悪魔とは逆らしい。
もっとダメなヒトもいるよ。
あなたが頑張っていないなんて誰も言っていない。私が許さない。
カワイイ半裸の天使が涙声で囁くんだろう。
ダメな人間も、すっと不細工な顔を上げ、前を見据える。
天使の囁きは、激励に代わる。
「この前は頑張ってたじゃない?次もできるよ!」
残酷である。