MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

常識の輪郭

恥の多い人生を歩んでまいりました


と、聞いたような書き出しで始める。


ボクには常識がない。
自他共に認める。

あえて言うなら「常識の学習途中」である。

なぜ常識を学習するのか?と問われれば、
「なにが常識なのか自分で決めてはいけない・・らしい?」からである。

団塊の世代あたりから、そうであろうが

何がいけなくて、なぜ悪いのか?
という問いに、教育(家庭・地域・学校)は、おおまかに雑に、大雑把に教えてきた、と思う。


「なんでヒトを殺してはいけないんですか?」


『そんなコトも判らないのか!?幼稚園に戻れ!』



と、なんとなく、他に、他にと教育責任を押し付けて、
教える側も「良くは判らないが、なんとなく善悪は知っているから」という立場で来た。


ボクもそんな、大量生産(清く正しく美しく)の産物なのであるが、
粗悪品であった。


粗悪品など不都合があれば弊社までお送りください


が、今の常識であるが、あいにく「ヒトの粗悪品」は返品できても始祖(親など)
までである。
そのうえ「返品お断り・別の機関に願います・当方に過失なし」という一手もある。

ボクの親は、返品は受け付けたが、再教育する人手もなく、金もなかった。
勇気も知恵も力もある親であったが、「自称・粗悪品」には手を焼いたと思う。


さて、ボクは素行は悪くなかったが、考え方が、何と言うか、全く自分でも理解不能であった。

学校は「行けば良いもの」であって、勉強するトコではなかった。
友人は「死んでも守るもの」であって、代替がきくものではなかった。

だから「あいつシカトしようぜ」となっても、「オレはやだね」となって仲間はずれ。
いじめられたら、いじめ返すのであって、同じ年ではつまらないから、矛先は先生と教委。
女子は男子より「よわい」とは、感じていなかったので、小学校まで殴り倒していた。
「勉強できても身体が悪くちゃ・・」と聞けば、
じゃぁ全部、できればいいじゃんか、という短絡。

脱線。

小学校も高学年になると「道徳」とかあって、ボクも大いに???と思った。
老人・子どもは助けるものであって、親・先生は尊敬する、悪いコトは犯罪らしい。


法律があること自体が「ヒト=悪人」なんじゃん・・



何も判っていなかったのである。

そこで「自己教育」をはじめた。
とりあえず、このクニで暮らすには「最低限とかいう常識」は必要であったからだ。

勿論、苦行ではなかったが、「優等生が犯罪者になる」よりラクでもなかった。

書き間違えではない。

優等生が犯罪者になるのはラクである


なぜなら、優等生は「常識」という足元を磨きに磨いて、さらにワックスをかけているヒトある。
「一歩間違う」とはワックスの外に出ることであり、滑らないし、走りもできるのである。

ボクは一歩一歩「ここは滑らない・・まだ常識じゃないな」と踏みしめながら、
「万引きは悪いことですか?」とバラ撒(ま)きながら、常識を探していく。

きっと「水を撒いて歩く」ことと一緒であり、ワックスは水をはじいてくれるのである。

そうやって「ドロ水」を撒いて、はじき返されたところが「常識の輪郭」であり、
どうやら「言ってはいけない事・してはいけない事」の総体であるらしい、と結論に至った。

未だに「滑るコト」は多い、多すぎる。



高齢化が嫌なら、犯罪者はもれなく死刑にすりゃぁ・・


税金が嫌なら、日本が破産すりゃいいだけ・・



と滑っていくのである。

優等生はさぞ辛かろうと思う。



どんなにキレイでも自分の背中は見えない



汚れていくのは背中からである。

顔とかハラとか「見えている部分」を気にしているうちは幸せなのだ。