MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

戦争と平和 5月12日

レフ・トルストイが従軍経験からの「戦争と平和」で絶賛を浴びる遥か前。
ただの日記であったが故に、文学史には残らなかった名文がある。

以下、中学生時分の訳(記憶が薄く・・スマソ)なので読み飛ばしてよい。


私はその病院で死ぬと思った。
前線でただの肉片とならなかっただけ、病院の方がましであった。
病院といっても前線にポツンと建てた小屋である。
アルコールのにおいより、糞尿のにおい、死体が腐ってゆくにおいが強かった。
ネズミが同志をついばんでいくのを横目で見ながら、わが祖国、大英帝国を思った。
ただの戦争であれば、これほど深刻にはならなかった。
しかし、ただの戦争、以外の戦争はなかったしこれからもないであろう。
私はこんなつまらぬ野っぱらで、死んでゆくのである。
祖国から、有志の医者の卵が現地に着いた、と聞いた。
年端もいかぬ少女達が、名声欲しさの貴族のお嬢様に連れられてきたらしい。
貴族など、前線には要らぬ。まして、医師など女には務まらぬ。
戦争を賛美し、死を賛美する貴族趣味がこういう戦争を生むのである。
私は祖国に残した娘達をかわいそうに思った。
貴族に生まれれば、戦争しないですむ毎日が待っていたはずであった。

私は神の加護もあって数日で回復したが、空腹はどうしようもなかった。
死んでゆく同志に何もしてやれぬ悔しさと向き合う日が続いた。
そして、少女達が戦場にやってきた。
思ったとおり、庶民の娘達は兵士の前ではただの女であった。
冗談がやがて激昂し(以下略・・性描写)
糞尿の始末や消毒、ネズミの駆除、病院の改築まで、少女達はとても良く働いた。
年端もいかぬ少女まで戦渦に巻き込んではならぬ。
私を初め、多くの同志が医師の真似事をし、同志を介抱し、そして看取った。
眠れない昼と眠ることを許さない夜が続いた。
祖国の精強な軍隊も疲れ始め、私たちも疲れ始めた。
私は、あろうことか疲れ果てた少女に手をかけようとしたのである。
別の庶民の娘が起きて言った。
「あなたは十分以上に働きました。しかし、その行動がアナタの栄光を消し去るでしょう。」
私は後悔し、以降二度と少女達に邪な気持ちはなかった。
(略)

私たちは生きて祖国の土を踏む奇蹟を感謝した。
そして、再び、奇蹟を目の当たりにしたのである。
あの庶民の娘が「ランプの貴婦人ナイチンゲール」そのヒトであったのである。
私は、多くの同志が恥じた。
貴族が医師の真似事をしに、戦争の最前線に来るものか。
それこそが恥ずかしい考えであったのだ。
彼女は大貴族に生まれながら、志願してあの病院にやってきた。
そして、病院を消毒し、改築し、私たちを再び生きて祖国に帰したもうたのである。


コレを「Hな英文」だと思って夢中で訳していた自分が恥・・


1820年の今日、5月12日、フローレンス・ナイチンゲールは生まれた。
彼女の生涯は余りに劇的である。
クリミア戦争で生き残ることすら奇蹟であったのに、彼女は90歳という天寿を全うした。
野戦病院で得た多くの知識を、彼女は他人のために使った。
白衣の天使・ランプの貴婦人に与えられた名誉を、彼女は学校設立に使った。
彼女の働きがなければ、現在の看護士学校は存在しなかった。

赤十字設立にも尽力したが、彼女は自分の名誉を嫌った。
結果彼女は赤十字に反対!となったが、アンリ・デュナンが彼女の実績を評価した。

蛇足Ⅰ

ナイチンゲールは「さよなきドリ」とも訳され、
その鳥は、死者の枕元で優しく鳴き死を和らげるという。
東欧の一部地域では、このトリが枕元に来ると死者が出るというので不吉な鳥とも言われている。

蛇足Ⅱ

カウンセラーと受けるヒト(患者)の間に恋愛感情が生まれることを
ナイチンゲール症候群」と呼ぶが、無論彼女にそういう癖(へき)はなく、
後世の研究者のいいかげんな命名であろうと思われる。
ボクもそういう良い関係(失礼)になったことはない。

蛇足Ⅲ

彼女は、哲学(心理学)や統計学にも顔を出す。
「限界状況ではむしろパニックは起き難い」といった心理学や、
「逆境での数字は、順境での数字を大きく上回る」といった統計学を遺している。

蛇足Ⅳ

戦争と平和」より、彼女の伝記を読んだほうが面白い。
戦争と平和」は、実はトルストイが描きたかったメロドラマを
スケールをでかくして歴史的スペクタクルにしただけである。がっかり感が大きい。