MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

無駄なカウンセリング

今年の一字は「新」らしい。
新しさがないのがうつ病治療である。
新薬は試さない、新療法はあーだこーだと講釈の末に元のままというのが多い。
たまに話が長いと、医師のグチであったりする。

通院してきた。
今回は世間話が多く、随所にカウンセリングが入ってくると言う感じ。
もう長くかかっているので「顔と話し方でだいたい判る」という間柄。
ボクも医師の顔色で「悩みがあるか」判ってきたが聞かない。 患者だからだ。


『無駄なカウンセリングも多くてね・・』

医師との世間話で何度か出た話題である。

・ 家系からなんとか問題をほじくろうとする
・ 環境から  〃
・ 文献から  〃

つまり、ひとりひとりと直に向き合うと患者の数だけ事例が出来てしまう。
だから「ケースÅ○タイプ」みたいにくくってしまえば、問診から投薬までスムーズにできる。

でも、患者からすれば、じっくり見て欲しいのが現状ですなぁ・・と聞いた。


『病院経営の問題なんだよ』



内科なら必ず何らかの疾患がついてきて、各検査(報酬高い)や投薬がついてくる。
なんとか外科、整形、形成などは手術がつきもので経営の核になる。
小児科はよろずやで気をつけないとぼったくられる。

精神科は患者をこなさないと診療報酬は高くない。
カウンセリングだけでは安い!
医師によっては「適当診察・投薬重視」で飲みきれないほどヤクをくれる。
実際には、5~7種類もだせば副作用を抑えること考えても十分である。
10種越えは最早、競技であり、がんばりましょうイケイケドンドンな気がする。

カウンセリングとそれに応える患者の努力(自浄作用とか自己回復力とかいう)が前提である。
勿論、薬も重要である。 飲み忘れたときの離脱症状は禁断症状にすら近い。

ボクの産業医はこのごろ「カウンセリング」をしたがる。
それもYES・NO検査とか色彩のセラピー(オーラソーマ)とかをしたがる。
興味あれば嬉しいのであろうが、つまらない。
ボクはなんとなくの会話からカウンセリングにもっていけるかどうかで力量をみているのかな。

医師に話すと


『勉強中のことって見せびらかしたくなるよね?』


確かに、なんかのセラピーの勉強中だとは、ちらっと言っていた。
勉強は素晴らしい。が、ボクを素材にはしないで欲しい。
家族構成とか、家庭や実家との問題を聞いてくるのは、そりゃ必要であろう。
が、会社の雇われ・・となると何だか査定対象になるのがミエミエで迂闊には話せない。
産業医は、糖尿とか心疾患とかへの生活指導が得意であるが、ベテランほどメンタルに弱い。
マニュアルにない冠たるものであるからか。

何だか。
医師も産業医も素人からすれば医療(技術)のプロであるのだ。
あれだこっちだ、どっちがどっちだと言われてもこっちは困る。

旧約聖書新約聖書、どっちが実になる毒になる?
正直どっちでも良いし、どっちでも嫌なのである。



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シナイ文書である。
死海文書と混同されることもあるが、共通しているのは「エヴァンゲリオンと無関係」ぐらい。
旧約とか新約とか、ソレを越えて扱い自体が歴史的問題にはなっている。
別に特定の宗教を信仰していないから、ボクは心底どうでもよい。


カウンセリングか薬か、どっちか?
話をしても、聞いてもらっても「血中の物質」が変わるわけではない。
薬を飲んでも「なんかつっかえた感じ」が取れるわけではない。


自分に合えばどっちでもいいわい!



が、合わない・腹立つ、でもチャンジできない・・が多い。