MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

畸形への差別

急に欲しくなったテディベア。
調べると出るわ出るわビンテージ・・か。
気になるのは可愛くても「手がない足がない」で価格が付かないという点。
シュタイフが有名であるが、商標やラベルがないという点のみで「エラー扱い」も多い。

手足が2本ずつってそんなに偉いか?


ボクは友人にマイノリティ(そう呼ばれていたからあえて記す)が多かったから、
「両親がいる」「五体満足」「親を知っている」「学校に行っている」
「兄弟が居てみんな生きている」「見える・聞こえる・話せる」

こういったことは実はすごいことなんじゃないかと子供ながらに思った。
逆にボクはスタンダードと呼ばれて、いじめにも多くあった。


『手も指も揃っていて、絵も描けないのか!?』



コレには少し戸惑って、だからそれなりに努力もした。
ただ、この時期の、特にマイノリティからの揶揄は悪意がない。
自分たちが努力するのが当たり前(生きていく上での義務)と思っているから気持ちが良い。
彼らなりにもの凄い苦労をしていて、ボクなど計り知れないのであろうが、
「一緒に遊ぼう」と言ってくれるから断る理由がない。

小学校のとき「特殊学級」なるものが創設された。
遊びに行くと、担当の教師から『自分のクラスに戻りなさい』といわれた。
そのくせ「交流会」なる特殊学級との授業では「もっと一緒に遊びなさい」と言われる。
ダウンちゃんがほとんどであったが、行動が突飛だということからか皆敬遠していた。
『汚い・臭い』というセリフが飛び交っていた。
ボクはひとりと仲が良かったので、放課後みたいに遊んだ。
絵を描いて、破って、笑って、逆に似顔絵をもらった。


『ほんとは嫌なんだろ・・?』


スタンダードの友人がヒソヒソと聞いてきたが、無視した。
特殊学級の子の母親に誘われて、家に行くことも多くなった。
コレが理由でスタンダードから「仲間はずれ」というくだらないいじめを何ヶ月か受けた。


そのうち「部落」とかいうものの存在を知るが、仲の良い友達がいるから関係なかった。
家にいって遊ぶが、どうも家族がよそよそしい。
そういう疎外感?というかなにか一般社会では昇華しきれない澱でどんよりしていた。
おじいちゃんが居て、片手であった。
こういう生まれで、こういう身体だともう生きるのでやっとである・・とのこと。


「別になんともないよ?大丈夫だよ?」



『いいとこのボンだからそういうことが言える!』



スタンダードはマイノリティからすれば、無知な乱暴モノなのである。
優しさと同情を履き違えて、ニヤニヤと寄っていくから拒否もされる。

でも、無視したり、放っておくのも性に合わない。
「温かい無関心」とかいう、要は無視!というのが当時の行政でありコミュニティあった。
ボクもくだらない生き物で、スタンダードであるという自覚をしてマイノリティから離れた。


それでも「親が○だから」とか「あいつは○という病気でから」・・
とかいった区分=つまりは差別を見ると、このやろう!となるのである。

教育実習のとき「あいつは特殊学級に下ろす」という子がクラスに居て腹が立った。
教育の現場としては、ソレで大多数が幸せになるのであろうから良いのだろう。
が、教育や福祉はどこまでも少数や弱者の味方でなければならないと思う。
無論、「そういうフリをする」といった行政のフリーライダー(ただ乗り野郎)は存在する。
かといって、そういう例外を積み重ねて「この制度は廃止します」とは言ってはいけないと思う。

片手のテディベア・・か・・可愛いんだけどな。
売っていない、売り物にはならないと言われれば買えない。

ん?何かひっかかる。

あ、そうか。
偶数は Even Number、奇数は Odd Numberという。


何が ODD(奇妙な)じゃい!?



2で割り切れない数学的な理由であるとは思うが納得いかない。
「奇」数とかいう、まんまな言葉を使っているのもどうも納得できないが、もう遅いか。

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人形には「畸形・異形」というジャンルがあり、絵画や彫刻にも存在する。
「ヒトのカタチをせしもの」ということなら賛成である。
ただ、人目を引きやすいとか、一部マニアに受けるといった商業主義ならゴメンこうむる。
畸形胎児(死産)が裏社会で高値で取引・・というのは笑えない現実である。
勿論、国外もことであり、日本は法律で禁じてはいるが。


何でも良いじゃねーか?別に・・



色々悩みだすと、こういった幻聴?が聞こえる。
別に何でも良いか・・。

ボクはアシンメトリーな服を好んで着る。
ソレはスタンダードであることの「思いあがり」からくる「畸形への嫉妬」なのかも知れない。
誰もマイノリティに生まれたかったわけではないのだ。
スタンダードが多数だからいかんのだ。

多数決は死ぬまで嫌いであろうと思う。