MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

「うつ」への対処法 別版

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「うつ」への対処法などと大上段に構えたから、
前回は脳みそからホントにダシが出きって、シュラシュシュシュ♪となって逃げた。

一般論は帰納的においおい書くとして、ボクが何を考えているか?を書いてみることにした。

無論、コレはボクの思考であり、一般化できない。
劇薬かもしれないし、毒かもしれない。
「ただの水」ということはないので、あまり納得しないで頂きたい。

2章に分ける。

まずボクはこう考えている。

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ボクらはCという一般社会に生きている。
「一般」という意味は日本というありえない民主主義国家という社会である。
ここに生活に必要なものは全てある。
ないのはカネと明日の希望だけである。

ところがこのCというのは、いわゆる「何かしら持っているヒト・意見力のあるヒト」の社会である。
そこで「何も言わず、言えずにモンモンと労働するか壊れるか」という土台を必要とする。
Aがウツ人の集団だとすれば、
Bは「ウツを知らず、または知ったかぶりをする、または理解しない集団」である。
AとBとの間には接点はなく、歩み寄る気も全くない。
Bは集団とはなっているが、個々は「あいつら使えない」ぐらいにしか考えていない。
Aは・・ご存知の通り、横の連携がない。
集団といっても名ばかりで、CかBに属しているという幻想とか強迫観念があるから上手くいかない。
労働しないで、実は上手く生きている「行政のただのり野郎」はAとBの隙間で空白になって見えない。

Dはなんだ?というと、つまり「資産階級」である。
そちも悪よのう・・といったホコリをかぶった上流階級である。
はやくCの上から振り落としたいのであるが、Cも恩恵をこうむっているので嫌々もいえない。


Eは政府・あるいは国家である



そう、たかだかこんな不安定な、なくても良い代物である。
ボクは無政府主義者ではないが、今の○党なんていう看板付け替えなら要らないと思う。
Eとしては「ご機嫌伺い」としてCやAに何か「政治的行政的なこと」をしたいと考えている。
トップは知らんが、とにかく現場官僚は、何かできないかと考えている。

そのためにはBにも「ご機嫌伺い」をしたいのであるが、Bには直接手を打てない。
Cを通さないと何も出来ない。
Cはカネに換算することに関して長けているから、余計な解釈をする。
結果として「ECOポイント」とか「補助金」とか「子ども手当て」とか訳がわからなくなる。
そして、政策施策がBにおりる頃には、テレホンカードぐらいの価値になってしまう。

Aに対しては「Bが面白くないと思っている」という理由でつまらん政策施策しかなくなる。
カネは尽きてしまって「いのちの電話増設」とか「STOP自殺」というビラのレベルに落ちる。

CやBから「Aは放っておけばいい(死ぬから)」という入れ知恵があるので、益々雑になる。
無論、CやBにもくだらん懸念はある。


Aが集団として蜂起したらどうしますか・・?

ソレは簡単である。
ただでさえ不安定なE(政府国家)である。
Aが揺らいだらコテッと倒れて、また手のひらを返したような政治になる。
そのためのDであり、Dは「影の政府」とか「財界のドン」とかいう集団であることが多い。

B集団が、頭が固かったり、前例踏襲が好きなのは
「D→C→B」というコチコチのラインがあるからである。
別に個々のBは至って善良な市民であることが多い。

・・・だから厄介である。

第1章はこの辺でやめる。

「たかがCという組織や社会が上に乗っているのであるから重いわけだ」
「Eとかいう細くて不安定なモンが政府とか言って更に上に乗って・・ご苦労様なこった」

小難しく語られる社会の実態は、ただのバランスゲームである。
どこにも属さないことは出来ない。
ならば、自分の要る場所で、小さな満足を得ますか・・といった楽観論もできる。


次にとかく、メンタルがやられる「人間関係問題」である。
ボクはただの「環境問題」の一種と考えている。
人間も生み出された公害である。
「良くできた人間」を生み出す過程で、毒にしかならない人間も副産物として多数生み出される。
毒な人間というと・・「気の毒なヒト」というべきか。


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またさっきの図である。

ボクはイジメとか部落差別とかとかく近くにあったので、こういう図は昔から持っていた。
「何で自分ばかり・・」と考えると視野がせまくなり、すぐ煮詰まってしまう。
だからすぐ図式化して、つまり・・逃げるわけだ。
逃げることが悪い!とはどの偉人も言っていないので、多分悪いことではないと思う。

まず家庭に図を下ろしてみる。


両親の仲が悪い・・が逃げられれない・・


当たり前である。

Aは父親であり、Bは母親である。
接点など初めからないのである。
ソコにソコソコ双方と話せるあなたがCとし生まれ育ってしまった。
Aにも一理ある・・Bにも一理ある・・そんな生き方の中で、Cの下の隙間は広がっていく。
苦しくないはずがない。

そしてEという仕事(学校)というノッポなばかりの階層組織にも入れられるのである。
仕事ではなくても主婦やバイトなどすべてはこの細い不安定なEに凝縮される。
実際に仕事が不安定と言うのは・・笑えないのであるが・・。

Eがあなたに求めるのは「立派な(部品としての)組織人」である。
反論や、怠慢・・壊れたり(うつ)は言語道断である。
Eのなかに理解者を求めるのは、無理に近いというのもうなずける。

ではDは?


あなたの人徳で得た、得がたい友人知人である


世の中が居心地が悪く、息苦しいのは、このDの少なさにもよる。
更にDはあなた(C)の動き方次第で、日に日に違った表情を見せる。
「アレ?嫌いなのかな?」・・「アレ?やっぱり判る人か・・?」・・。
ソレはDも変わっていくこともあるが、あなた(C)の触れ幅が大きいせいもある。

ウツ人は、ことさらに気分屋、とか、扱いづらい、とか言われることが多い。

あまりに揺れ幅が大きいなら、エイッ!とE(仕事)を切り離すのも手である。
が、ともすれば、いや大体の場合、Dも疎遠になってしまうのである。

忘れていけないのは、触れ幅が大きくても「AとBはあなたを見ている」ということである。
もしかしたら、すぐ下で支えていて『何か話して欲しい』と思っているかもしれない。
AとBは、親である必要も、また、ない。
子供でもいいし、親戚でもいい。
いなければボクでもいい(少し弱気・・)。


辛ければ、重いと感じるもの、すべて振り落としてしまえば良い。

が、忘れてはならない。


あなたは、あなたをやめることはできない




ボクは自分が嫌いであるが、誰も全く同じにボクの変わりは出来ないであろうから、生きている。

代わりが居ないのは、あなたもまた同じである。

ボクは死後の世界には興味がない。
生臭く、愚かなこの「生きている感じ」がたまらなく好きなのである。