MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

死を識ること~あすに道を聞けば・・

あえて、更新しなかったわけではないのです。
更新する時間がなかっただけです。
 
日曜から「今後の精神医学(療法)」について、非公式な打ち合わせに参加してきました。
打ち合わせと言っても、教授とかカウンセラーとか色んな面々が集まって話しただけです。
「だけ」というには内容が高度で、とても収穫がありました。
 
日本からは東京女子医大教授・講師・カウンセラー・心理療法士・・・など、
朝鮮から準教授とその通訳、そして・・
 
ドイツの高名な精神医学の重鎮がイレギュラーで参加!!
 
 
これには一同萎縮して、はてさて何を聞こう・・話そう・・というか・・近づけない。
それでも、だからこそ「彼の名前すら知らない全身失礼なボク」は一番近づけたわけ。
ドイツ・・いい響きだ。哲学に始まり心理学・精神医学を(理論上は)リードしてきた。
敬愛するマルチン=ハイデッガーの国です。
 
ボクが一番(通訳を通して)話が出来たでしょう。
ボクのウツ以外の諸疾患と、ボクなりの治療法、現在の意志見解などを話す。
教授は『日本のビールはうまい』と飲みながら、きちんと話してくれた。
 
精神医学教授と言っても、前分野の医療を陶冶しての現在の立場であるわけで・・
ボクの脳腫瘍については(初見か!?)もう安心してよい、とのこと。
ウツについてはDSM-Ⅳ(日本の医師の大マニュアルね・・)
が細分化しすぎてマニュアル化し過ぎたことへの懸念というか怒りを露にしていました。
 
『患者を、目でも心で見ない医師に何ができるものか!』
 
 
『私は死(への希望)の臭いすらかぎ分ける!』
 
 
『確かにSSRIに始まる新薬は良く出来ている』
『しかし、問診もせず処方できるとは、日本の医師はエスパーですか?』
 
色んな話をして、疲れた。
疲れた以上の収穫はあった。
 
人間は「死」を意識して初めて「ヒト」足りうる。死を意識しなければ「社会」に存在できない。
ハイデッガーの「死と時間」の名言である。
 
ボクも似た言葉を知っている。
 
あすに道を聞けば夕べに死すも可なり
 
 
 
イメージ 1
 
 
あす(朝)に道(生き方)を聞けば(全て知ることが出来たなら)
夕べ(夜)に死す事も可なり(死んでしまっても何も悔いることはない)
 
そのくらい「死と死を乗り越えた生き方を悟ること」は難しく、
だから哲学や心理学は精神医学とはいちも表裏一体なのである。
 
 
今日から4月。
新年度の夜明けである。
 
この先がどうなるのかは、考えたところで判らない。
でも、判らないことを判ろうとすることはできる。
 
ウツ人はウツという病を「知って将として戦う」か、
「兵としていいなりになり戦うか」選ぶことができる。
 
道を知ることは怖い。
それでも「何もせず」よりはいいと思う。
 
今日から4月。
新年度の夜明けである。
イメージ 2
 
 
 
 
政府の新政策も「何もせず」よりはいいと思う。
 
夜明けはまぶしい。 目がくらむ。 頭痛がする。
 
その「光った、まぶしすぎる核」に「道」が隠されていいる気もする。