MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

春と自殺・・・

うつの会・・というものは多い。
旭川でもそういう種が何箇所かある。
ボクは大抵どれでも顔を出している。
 
飲み会になったり、ウツ自慢になったら顔は出さないようにしている。
社会復帰、ノーマライゼーションこそがハンディを持つものの目標であって欲しい。
ボクは向上心のないヒトは好まない。
まだまだ!いつか、いつか何か、今の自分を越えてやる!
そういうギリギリなヒトが大好きである。
 
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春になり、気候と同時に気分も良くなる。
そして「ウツ人」には最大の幸福であり、最大の難所を迎える。
 
そう、自殺である。
 
春と言う気候は、熱くも寒くもなく、身体だけでなく、脳も油断する。
SSRI、三環形を問わず、脳に作用する抗うつ剤も油断してしまう。
 
何より「暖かい?気分も良い?この調子なら良くなりそうだ」という高揚感が最大の誘惑である。
外出する。
後悔する。
足取りの速い「一般人」。 楽しい談笑。 咲き誇る花。 空ろに輝く太陽。 
「当たり前」に気付き、ソレとの距離に愕然とし、振り返らずに自分を責め続ける。
 
この差は何なんだ!!??
自分はまだまだではないか?
こんなに太陽は・・花は・・他人は・・自分は、まだこの闇が追いかける。いつまで続く。
 
いつまで続くのだ? 終らないのか? 終らせられないのか・・?
 
とめる声はない。
自分だけで決めた責任は、自分にしか取れない。
根拠のない義務や責任が自分を責め続ける。
逃げ場はない。
逃げられない。
進めない、アノ頃に戻りたいが戻れない。が、あのウツの、途方もない圧力に戻りたくない。
 
 
死が誘惑する。 
 
死に恋する。
 
自分だけで決めた責任は、自分にしか取れない。
 
うつの会の知人が「生きていない」ということをもう2件聞いた。
家に言ってもヒトはいない。
モノがそのヒトの最後のつぶやきを教えてくれる。
 
血まみれの刃物。 
大量の薬と大量のアルコール。
べたつく床。
どこまでも散乱した部屋の奥に「社会を好きだった頃の形跡」・・通帳、社員章・・
途中から白紙の手帳。 飲まなかった薬。 買いたくもなかったであろう「ウツが良くなる本」。
携帯電話。 家族か?知人か?何を語ったのか、語れなかったのか。
 
同じ場所にいた、同志?が呟く。
 
『死んだら・・死ぬことなかったのに・・』
『死ぬくらいなら・・相談して欲しかった』
 
なぜかこみ上げる怒り。
「判ってあげられる」という思いあがりはどこから来るの?
もし『助けてくれ』と言われたら、とんで駆けつけたの?
それともいつものように「具合が悪い」と急にウツになるの?
あなたは、あのヒトと一緒に酒を飲んでも、社会の悪口ばかりだったよね。
 
ウツ人の自殺など、止めようにも止まらないのだ。
だから皆、苦しんでいるのだ。
 
世間では言う・・「必ずサインがあったはず」と・・。
 
サインはない。
 
春がサインを書きなぐるとしても、そのサインが外に出ることはない。
ウツ人がサインを出したときは・・
出したときは・・
 
きついね、こういう記事。
 
出したときは、答えももう、自分で決めているのだ。
遺されたウツ人は、そのヒトを忘れずに、がんじがらめのなかでも「悪あがき」するしかない。
あがけばあがくほど、苦しいが何かは動く。
 
春は名のみの風の寒さや。
春はよいよい・・心は寒い。
 
君、死にたもうことなかれ・・。
 
恥ずかしくても、苦しくても・・
 
生きねば・・
 
「ならない」とはつけない。
つけられない。
 
生きていて良かった人生など、恵まれた偉人の遺言にしか存在しない。
 
ボクは自分の道を歩き続ける。
 
残念だが「他人の人生」に責任を感じる余裕はない。
 
非難されてもいい。 かまってあげられるほど、お人よしではないのだ。
あがいている真っ最中だから、自分は自分で守る。