MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

お陰さまで4周年~ウツ人より

もうブログを立ち上げて4年になった。
ウツと診断されて実に7年である。
コレを長いと見るか、短いと感じるかは個々人の主観に委ねる。
ウツになっても気づかないのが大半で、どんなに寛解まで短くても、個々には超大な時間と感じるから。
 
ボクとしては・・
 
長い!!
 
 
 
当たり前である。
娘が生まれるとほぼ同時期に発病・・その頃の記憶は憶えていない・・多分無意識に抹殺している。
3歳ぐらいまで「ほとんど寝ているだけ」であった。
「名前・生まれ・全生活史健忘」も通った。
つまり、「自分は誰でいつからいて、何でココにいるのか?どうして生きてきたのか?」記憶にないのであった。
連日の字の勉強・ひらがな文字の勉強・教科書を低学年からやって、ようやく高校受験問題までやった。
 
ソレが現在は、何とか社会生活を営める、までになったのである。
時間が解決しないことは「死」ぐらいで、あとは何とかなるということを身をもって知った。
学業や仕事や人間関係など、「生きる」の前にはおまけ以下の存在である。
ソレを体感し「識」ったのもウツのお陰であるか、あるいは「ウツのせい」である。
 
今日(こんにち)なお、ウツが社会問題として厳然とある事実は変わっていない。
「事実」というのが重要で、政府や関係各省が発表する「数字的真実」などは意味がない。
ウツ人個々が、毎日を死にもの狂いで生きているのが「事実」でソレは個人の闘争であり戦争である。
毎日「一般的な戦争」で何千と死んでいるが、ソレと同じである。
病気と戦争を一緒に論じては・・という反論は承知であるが、
「急に始まって巻き込まれて個々は何も出来ない」という点では、やはり戦争なのである。
 
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これは「羅生門の鬼」であるらしい。
源の某が「退治」したらしいが、果たして殺す必要があったのか・・?と疑問に思う。
源博雅には「宝の笛(葉二)」を渡してしまうほど「良い鬼(やつ)」なのである。
 
鬼からすれば、ただ何となく「鬼として普通の生活」をしていただけであると思う。
ソレが「人間に害を加える」と人間側の(多数派)の論理で退治されるわけである。
 
ウツになって、時々一般人の発言が「鬼」のように感じることがある。
・弱いから
・気合が足りない
・時間がかかりすぎ
・ホントは詐病である
 
無論「多数派」からすればそれは真実なのであろうが、ウツ人にとっては「事実」と異なる。
・弱いなら、強くなれば治るのであるが「強さ」とは次元の違うとところにウツという病はある。
・気合で治るのは「動物の世界」であって、「気」で治すのも北斗の拳ぐらいである。
・時間は・・個人差である・・ガンになったトコで、時間が解決すべき問題ではない。
・「詐病」は多数派が良く使う「何だか判らないが否定したい」言葉である。理解できなきゃ嘘にしてしまう。
 
 
さて、今日は模型が一つ完成した。
当然「ロボット」である。
実物はお見せできないので、同じものをひっぱってきた。
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「プラモデルではありません」との説明の通り、とってもボクには難しかった。
ただ、この原作の永野氏は大好きである。
ミリタリーと音楽、ファッションに長じている彼は「自分の理屈が通らない」と仕事をしないと思う。
 
「いいじゃん動けば・・」
『ダメだ!関節は「曲がれば良い」なんて乱暴は出来ない。機械的な駆動で説明できないと!』
 
そんな思惑が見え隠れしていて、関節はきちんと「モーター」で動くであろう感じがする。
ガンプラで「メカニック」が見えるように「高度なグレード」などがあるが、アレに近い。
違うのは、ガンプラの内部構造は、あくまで「装甲」であり、内部の精密機械ではないということ。
装甲を外して「メカニックザク」で戦場に出ても、戦えると思う。
 
 
『私が当たる筈がない!!』
 
『私の攻撃が外れるわけがない!!』
 
 
といつも独り言で豪語している、あの変態SMマスクの男なら、3倍の装甲を外しても生き残れるはず・・だ。
 
脱線しているようで、実は本題とずれてはいない。
みんな、内部の機械丸出しの「子供」として生まれ、社会常識という「装甲」をまとっていく。
ウツは「装甲が外れてしまう」病なのである。
装甲(自信・自己評価)がなければ、裸同然で、当然「他人」が恐怖となり、外界は恐ろしい。
何より「むき出しの自分」が傷つけられるの恐怖に常にさらされる。
その蒸し暑い重圧に耐え切れず、居場所を探しているうちに・・帰らないヒト・・となったりする。
 
が、ウツ人は皆「独自に考えて自分を創る」ことができる。
常識を疑いながらも、ここではないどこかへ行く勇気は持ち合わせている。
 
生きているならそれで良い。
 
月並みですが、コレを「4周年の謝辞」と替えさせていただきたい。
 
ありがとうございます。
今後もよろしくお願い致します。
 
 
正確には6月9日であるのであるが、今日書いておく。
理由は「明日は何があるか判らない」からである。
明日は何をしよう・・などと予定を立てて生活しているヒトがうらやましい。
そんな余裕はない。
 
ホントの理由は・・
6月9日だと「シモネタ」しか書けなさそうだからである。