MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

うつの考え方~ゼロと1の間

きちんとウツの話になるから安心して欲しい。
 
ゼロと言う概念は「大発見」であると思う。
ゼロを用いたことで桁が完全に管理できるようになった。
ゼロという「中点(真ん中・中庸)」を置いたことにより数字は美しく、そして扱いやすくなった。
 
イメージ 1
 
5-2+2+8+3+9-3=22
 
絶対値が同じである正と負の数は無視して、単純な加法で結論が出る。
こいつは使える。
 
「リンゴが2個ミカンが3個ありました。合わせて何個でしょう。」
娘がこういう問題を解いているが、だから学校は余計なのだ・・と嘆息する。
 
 
安いほうを5個買えばいいんだよ!!
 
 
 
実際はそんな感じで、「つめ放題」に至ると単価は同じ。
新鮮か否かと重量こそが問題で、何個かは最早どうでもいい。
 
イメージ 2
 
 
で、数直線では上図のように「ざっくり・さっぱり」と描かれる。
が、ボクは1からは「+1+1・・」なのは判るのであるが、ゼロと1の間は絶対に他とは違うと思う。
 
ウツ人なら判るというか「体感しきり」であると思うが、「1」は遠いのである。
「1からはじめればいい」なんて気休めをウツ人じゃない多くから聞くが、
1とは「社会生活を独力で営める」という残酷な前提の下での「1」である。
ウツ人でない大多数は、「1」なんて意識しておらず、10×2なんて離れ業を生き方に求めている。
ゼロと1の間には、ほぼ無限の数が存在しており、ウツ人は毎日毎秒、そこら辺をウロウロしている。
 例え「朝起きて、夜眠れた!2食食べた(すごいよね)」としても、
それはゼロと1の間であり、一般には、当たり前でしょ!?と一蹴され一笑される。
ひどいことを言っているのではなく「常識とは1である」の前提の下では、残念ながらそうなのだ。
昼寝が多かったり、睡眠が不安定であったり、食べられない・動けない・・では相手にされない。
 
 
が、不安にはならないで欲しい。それでいいのだ!!
 
大切なのは「-マイナス」ではなく、絶対にゼロ以下にはならないということ!
 
 
感づいてはいると思うが「ゼロ=生物学的な死」であり、
マイナスなんて「あの世」のことでこの世の人間が考えてどうこうなるもんじゃない。
ウツ人なら死んだらどうなる・・なんて考えている余裕はないであろうから、やっぱり考えるだけ苦痛である。
「この世の徳が、あの世(来世)で生きます!」という宗教が多いが、
 
 
死んだこともないお前が、何でそんなに言い切れる・・!??
 
 
という「自己矛盾」に大抵は気付いていない。
世紀末とか、うつが多いのは末期的であるとか、自己矛盾も甚だしい。
世紀末は20回越えているが、第2次大戦を超えてなお、人類が滅亡したとは聞いていない。
聖飢魔Ⅱの面々もきちんと歳をとっており、彼らのほうの自己矛盾すら気になる。
 
脱線
 
・ 自分なんてマイナスだ
・ ゼロからはじめたいが、気力がない
・ 生きていても仕方がない
 
ボクも一つ以上当てはまるが、そういう考えこそ大局からすると「ひどい思いあがり」であろう、と思う。
 マイナスの存在は「あの世」にしか許されない(あり得ない)のであるから、
限りなくゼロに近くても「プラスの人間」は、どう足掻いてもゼロにはなれないのである。
 ゼロからは、みんな「生まれた」以上もうとっくにはじめているのである。
いい歳をして「ゼロになろう」と叫んでいるのは、
胎内回帰志向の強い「SEX好き」の男であるか、あるいはB’Zの彼だけである。
 生きていても仕方ない・・のは、誰でも仕方ないのである。
もっと多くの人生の選択肢をあらかじめ提示されて、考える時間を与えられない限り、
仕方ないのが普通であり「仕方ある」とは余り聞かない。
 
じゃあ・・ウツ人は「ゼロと1の無限の間いつまでもさまようのか?」
答はNOである。
数学的に「ほぼ無限」とされているだけで「今、直線を書いていくつかに区切った」らきちんとゼロと1は区切れる。
考えるだけでは不安と矛盾に満ちるだけなのである。
 
ギリシアの3大詭弁と言われるものの中に、アキレスと亀のほかに
「放った矢は当たらない」というのがあるが・・それが受ける。
 
放った矢は「的との中点を通る」・・確かに。
「矢は更にその中点を通る」・・当たり前だ。
「更にその中点を通る」・・・バカにしているのか?
「無限の中点を有限の時間で通ることは出来ない」・・・・ムムムム!?
 
当たらないまでもさ・・
 
 
 
 
放ったら、どっかしら飛んでくべさぁ!!??
 
 
 
 
 
 
当たったら、タワシかパジェロか・・それだけだべさぁ!!??
 
 
ウツ人というのは「考えだすとマイナス思考」。
で「矢は当たらない」なんて詭弁に陥ることも多い。
が、現実は「今日も生きていて、昨日も生きていた」という繰り返しであり、それは素晴らしいことである。
昨日は22日であったが、今日は21日であった・・ということは残念ながらない。
プラスの世界にきちんと生きている価値があるのである。
 
価値があるかどうかは、多分、自分が決めることじゃない。
忘れた頃に、ヒトじゃない誰かが決めてくれるから心配しなくて良い。
 
 
 
ゼロがいい!ゼロになろう!もう一回!!YEAHAHHH!!♪
 
 
 
 
 
やだよ。
 
 
このクソ熱いのに、暑苦しい歌である。
(と言いながらビーズ大好きですハヒ)
・・無意味な「イエー」が多い・・な。
「恋心」の「彼女はいつもミルクティー、イエー!!」もそうとう無意味である・・な。
 
ゼロは人生にはない。
発泡酒のゼロで、もうおなかいっぱいである。