MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

W杯と相撲と賭博と

totoは良くて野球賭博はダメか!?
 
 
結論、おしまい。
 
息子が「かんの虫」の居所が悪くまだまだ寝そうにない。
ワールドカップパラグアイ戦らしい。
熱帯夜ももう一週間になろうか?
ボクがエアコンが嫌いなので家族には不自由かけるが、ボクの家族だと思って諦めてください。
日本、頑張って下さい。
 
もうすぐ参院選である。
無論、北海道新聞でもパラグアイ戦と相撲の野球賭博問題で1面の扱いも雑である。
北海道でW杯でもないなとは思う。
わが北海道の「コンサドーレ札幌」はJ2常連になって長い。
スポンサーも企業アピール程度で、北海道自体が援助を先細りさせている。
北海道が自治体として「再建団体」目前か、かわすのが手一杯であるので、当然である。
「若い世代に期待・閉塞した北海道・北海道は見捨てられるのか」・・・そんな記事が相変わらず多い。
 
 
・・今更だよねぇ・・・
 
 
もう昔、省庁再編で(北海道)開発局が政府の管轄から外れ外局扱いになった時点で判りきったはず。
沖縄は米軍基地があるおかげ、あるいはそのせいで未だ政府の管轄である。
集団自衛権日米安保地位協定・・・どんなに後世が内容を憂いても「当時」は仕方なかった。
ただ、今は当時とは異なるから、政府間で話し合いましょう、だから政府管轄です。
当然である。沖縄知事と米国高官が話し合っても「泥仕合」必至で、感情論になる。
『また○落とされたいのか!?』という失言は期待できない。
『米軍はまだ日本を支配している気か?○を落としてまで』という失言のほうが有りそうである。
事業仕分けでも『まだ開発しないと北海道はダメなんですか?』と言われ、コレは図星で抱腹であった。
 
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「モンゴル相撲・日本場所」にしちまえ。
 
コレは何回か書いた気がする。
一向にそうならないのは、ボクの独り言であるからだ。
何より「国技」であるからだろう。
国技であるから「ただのプロスポーツ選手」では済まされないのであろう。
「ヨコヅナラシク」、「リキシラシク」とか「ナヲケガサヌヨウ」とか、
どうも軍国主義天皇専制くさくなってくるのである。
何がヨコヅナラシクかは、漠然としている。
漠然としているから、「非社会的団体との長い付き合い」という、さらに??な表現になる。
 
 
893って非社会的かなぁ・・・
 
 
 
別に暴力礼賛ではない。
 
きっと江戸より前、相撲の認知から893は対であったと思う。
暴力団、というのは「法律がそういっているから」であって、893は昔から公然とあった。
演歌歌手とかプロゴルファー、に限らず「芸能人」には付き人であって当然であるのだ。
 
まぁまぁ、今、少し整理します。
 
えっとね、何冊かの本で同様の意見を見てボクもそうだよなぁ・・ぐらいの認識であるのだが。
 
例えば、昭和より前、明治より前から「芸能人」はいたわけ。
茶道華道なんかも含め、民謡とか、歌舞伎とか演劇一座とか大道芸とか云々は全部、大衆芸能だった。
売れっ子になると、当然に「全国巡業」がでてくるわけ(上方だけ江戸だけでは、いかんからね)。
それで「問題なく巡業したい・何か起こりそうなら何とかして欲しい」という必要がでてくる。
 
じゃぁ各地に「何とかできる人脈・組織」が要るなぁ・・そこにでてきたのが893であっただけ。
彼らは「地元の顔」であり、(コミュニティリーダーがいない場合が多い)
冠婚葬祭、何かあれば仕切って、食事はあそこからとか、ヒトのもめごとはどの役人にとか、
問題の事前把握からアフターサービスまで、きっちりとしていたのである。
フーテンの寅さんが集団になったと思えばいい。
時代劇では偏りすぎて描かれるが、本来893こそ芸能人(一芸に秀でる)なのである。
 
今でもそれは同じで「地方巡業を何とか成功させたい」と思えば、893が手っ取り早いのである。
支援するヒトの把握から、振り分け、場所取り、興行の安全、もめごとを仕切る・・。
こういうことは「礼にうるさく情に厚い(報酬は高いけどね)」893がうってつけなのである。
↑こういう893が減ったのは「法律」が縛り付けて干上がったからで、昭和後半がひどかったらしい。
やりたくて犯罪組織になっているわけはないと思う(頭は悪くない、むしろ良いと思う)。
気付いたら非合法扱いで「犯罪組織」になるしかなかったのである。
 
注:ボクは893ではありません。
 
 
自分に置き換えると、例えばボクが何かの集団を率いていて地方で何かしないといけなくなった。
見ず知らずの場所で不安だらけ、集団の維持も難しい・・「よろずや」が欲しくなる。
問題ごとがカネで片付くなら願ったりである。
地方地方で「決まったよろずや」がいれば、なおさら良い。
今なら「イベント企画会社」とかあるが、どうせ「細かく区切って、良く判らない諸経費」を請求されるなら、
「ざっくり○百万」のほうがラクである。
税務署への説明、帳簿の云々・・が出てくるのはやっぱり「法律」。それだけである。
 
今、芸能人が「非社会的団体」と飲酒でもしようなら、すわ!!と書き立てられる。
 
が、今の今に敢えて「出向いて飲酒」する芸能人ほど情に厚い思う。
カネを払うだけでは申し訳ない・・いかんのは判るが・・ひとこと直に挨拶したい。
多分、それだけのことが大事にされて、仕事まで干される・・のが現状。
「芸能人が芸能人と懇意になって」、関係ないパンピーに法律突きつけられて『お前はナンだよ?』
とも言えない。 
さびしいですなぁ。
 
 
 
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今は親方。
当時は横綱である。
(多分)国技の最高峰である。
ソコに「弟子が・・だから連帯責任で・・」とは何を寝言を言っているか!?
 
 
そういう考えだから、子供が罪を犯したら親の責任とか言うんだろ!?
 
 
一人前になったら、親の責任より、子供当人の責任を問うべきである。
当人は「法律」が裁いてしまう・・でも何か言い足りない・・そうだ、親とか関係者にも何か償わせよう。
「警官隊の後ろから石を投げたがる」一般市民的常識であるらしい。
 
相撲も芸能である。
良い相撲をとっていれば、プライベートは問わない、のが常識であるはず。
それが「リキシラシク・ナニハジヌヨウ」となるから縛りが真綿のように暑苦しく厳しくなる。
土俵の外を厳しくしすぎて萎縮したのは今に始まったことではない。
朝青龍がモンゴル大統領とか長者番付に入ったら、マスコミはヘコヘコするであろうが、
「相撲は人生のステップ」と考えている一個人は鼻白むであろう。
賭博は悪い。
が、幕内力士に賭博ぐらいの楽しみしか与えない組織の狭量も問題である。
相撲はソコソコ、でも、稽古しかしていないので遊びは知りません。
禄も番付も上がったし、何か遊び知りませんか?
じゃぁ・・・と聞いた相手が「非合法」しか知らなかったら・・・・?
皆で「別世界」と叩いて笑える問題ではないのである。
 
 
・ 日本人力士は凶悪犯罪を除いて娯楽としてよい(国技の権威たる特赦)
 
・ 外国人力士も同様とする
 
 
 
どうせ「国技」なのであるから、このくらいの権威は欲しいトコであろう。
 
 
「お前、また大麻やったのか!?」
 
『はぁ・・・稽古に熱も入りますから・・』
 
「まぁ・・勝ち越すことだな・・その先は守れんぞ?」
 
 
『はい、精進します!!』
 
 
何だか、妙にしっくりくるなぁ。
 
 
ずっと長い間「閉ざされた社会」で同じことを繰り返し、目指した先で、つまらぬ石をぶつけられる。
コレでは、なり手はいなくなる。
 
日本人力士は賭博、外国人力士は大麻、いちいち大揺れしていたら、
結局困るのは「大衆芸能」を見に行きたい大衆である。
 
あ、W杯?
国技じゃないでしょ?