MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

リアルオナニーとバーチャルオナニー

何となく気分が良い。
じゃぁ、何というか「ぱぁっとした記事」を書こうと思った。
でも、技も頭もないしなぁ・・結局シモネタである。
 
見せたいか、見られたいか?
 
こういう心理論・学術的な・・文をこれから書きたいと思っている。
なにか難しいコト?・・・安心してください。
ボクは基本オバカさんなので、来る読者も大して頭は良くないはずです・・(失礼)。
どんなに論文めいていてもシモネタになってしまうし、読者もそうであろうと(信じたい)思います。
何か・・・こう、気分が「ひとりよがりなUP」なのである。
 
というのは今日は「個人的に誕生日」だからである。
かといって外食や飲み会があるはずはなく、サプライズもない。
サプライズは「娘が補助なしを乗りこなしてきた」と、
じゃれて遊んでいて、息子が「チンチン」を丸出しにして、誤ってボクの口に入った・・ぐらいである。
前者は娘のサプライズで他人事に近く、後者はどちらかといえばハプニングかアクシデントの類である。
 
 
個人の「趣味の域を出ない」ホームページやブログ、ツイッター・・・
 
全て「オナニー」である!
 
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ここまで「書かれなくても」ジーニストで伝わるのであるが・・。
「全てはオナニーである」。
別に極論ではなく「趣味とは、個人的な局所的な快楽の追求」と定義されるので同義である。
一時期「ホームページを立ち上げたので見てください」とアドレスを渡されることが多かった。
PC(WINDOWS95の少し後の時期ね)で見れば、
○の手芸日記とか、ポエムとか、料理日記とか、とかく日記が多かった。
 
趣味自体が、個人的な時間に自分の世界で行うのであるから、やっぱりオナニーである。
((こういう記事は過去何回か書いている。
「かいている」もきちんとシモネタ記号である。テストには出ると思う。))
ホームページなんて自分のコトを主観的に書くのであるから、オナニー記号満載というかソレしかない。
女の子なんかがこっそり「アドレスメモ」を配っていて、見るとえぇぇっ!!??と思った。
 
 
『日記とかポエムとか・・結構ホンネなので面白いと思います』
 
そんな手書きメモまでアドレスに添えてある。
なんともシークレットなビッグなOPENである。
「日記」は知らせなくても良いことの集大成であり、
ポエム(ポウィム)に至っては妄想や自我を極限まで字にしたものである。
赤裸々・ヌード・丸裸、一挙両得・株ヲ守ル・天変地異・驚愕・ガクガク、いいのかそれで?という感じである。
 
公開でオナニーしてるんですか・・?見せたいんですか?見られたいんですか?
 
そういうことを筋道も無しにいきなり聞くから、ボクの周りからは女性が消えていくのである。
今でも『ブログやってます』とか『ツイッター覗きに来てください』なんて言って来る。
ツイッターはつぶやきであり、「オレ今、何てつぶやいたか聞く?ねぇ聞く!!??」。押し付けがましい。
こうやってボクもブログをやっているが、やはりオナニーの持つ「爽快感と罪悪感」は強く感じる。
が、相反する両者が見事に「自己表現方法」として成立するから面白いのである。
しかし「訪問者50人!?」とかなると正直滅入る。
ボクは「見られたい」という願望はあるが、見せたいぃ!!とはツユほども考えていない。
 
 
 
 50人と言えば、一クラスより多い・・その前でオナニーできますか?
 
 
 
できないのである。 やる気がない、やろうとも思わない。 気分が乗らない。
今日は「書くか!?(「かく」が大切テストにであると思う)」という気分じゃないと書かない。
最近、書いてないなぁ・・でも最近とかそういうもんじゃないんだよなぁ・・書けないものは書けない。
筆が走れば(「フデ」も大事なシモネタ記号、テストには出ないかもしれないが憶えておこう)書こうかな。
 
そういう気分で書くのがブログである。
今こうやって書いているが、訪問者が10人台なので少し勇気が出た、というのが本心である。
6月は少し「波」があったのと、何だか訪問者(オナニー見学者)が増えたので陰から様子を見ていた。
 
さて、学者に限らず、その道の「趣味人」というのは、リアルオナニーはしていないと思う。
なぜなら、探究心という正当な形で、性欲まで昇華されているからである。
リアルオナニストたちは「何かしたい!でも何だか判らない」といった鬱積したベクトルを持っている。
ソレを受けてたつのが「オナニー」である。
リアルは避けたい。見せたいわけじゃない・・かといって無視には耐えられない。
じゃぁ「バーチャル?」といった形でネット空間に入ってくる。
「ネットゲームの王者」とか「○スレの神」とかは、おそらく、「匿名性は保ちたいが見られたい」心理である。
それで「表に出てきてリアルオナニーの神業を見せて欲しい」となると消滅する。
判りやすい。
結構「見られたい」けどね・・「見せたい」わけじゃないからね・・・。そういうことである。
 
今は「ブログで人気が出て・・」という逆な表出もする。
ソレをもくろんでブログをはじめたりする・・らしい。
「見せたい」なら堂々と顔を晒して、本名で勝負すれば良い。
でも失敗したら恰好悪い・・そういう微妙な心理が「とりあえずバーチャルオナニーから・・」となる。
 
売り込みたいなら堂々とオナニーしなさい!
「とりあえず」とは何だ!? ビールみたいに甘くないぞぉ!?
 
脱線・・。
 
「私はオナニーはしない。しようと思ったこともない」、そういう方は多い。
が、趣味が「人付き合い」とかでない限りオナニストである。
「無趣味です」・・!!なんと「何もしないことをできる」とは!?界王神レベルのオナニストである。
「趣味は睡眠です」と流している方・・なんと「どこでも寝られる・ひとりで寝られる」とは・・この先は言うまい。
 
作家や絵描き、芸術系にはオナにストが多い。
「売れたい・もてたい・容姿が悪い」と見事な三拍子である。
楽器や歌が上手とか、容姿が抜きん出ていれば、露出の仕方(ここもシモネタ記号ね)も多々ある。
コンテストにもリアルに参加できるし、バーチャルで遠回りすることもない。
が、作家たちは遠回りしかない。
まず、本を読み、自分の文章を確立し、片っ端から懸賞に応募する。
「賞金」がでなくても、原稿料タダ・送料自己負担で応募するのであるから、相当に自我は歪んでくる。
それでやっと受賞し「○賞受賞作家、期待の第2弾」とかで、いきなり潰れていることが多い。
当たり前である。
「見られたい」レベルでコツコツやってきたのに、「見せてぇぇ!!」と言われても気分が乗らない。
気分が乗らない、奮い立たない(タタナイ・・大事ですね)、見せたいわけじゃない・・。
コツコツコソコソの段階で気力精力は枯れてしまうことが多い。
 
 
「A氏、特許○の開発貢献として会社に10億円の訴訟!!」
 
 
オナニーとシモネタという当たり前のフィルターを通してみれば、当たり前のことである。
A氏は「○開発」に没頭し、性欲まで昇華して、逆に言えばそれ自体性欲となって研究したのであろう。
結果として「○開発」してしまったのである。
なんとも気持ちの良いオナニーであったのだろうか。 
このレベルになると「罪悪感」はなく「高揚感」すら感じる。
 
A氏(「」)「○を開発できたのは、私の○研究がなくてはできなかったはず!!」
 
会社(『』)『○開発は会社の業務である!給料に含まれている!』
 
「○への研究費は予算として計上されていた!会社は認めていたはず!!」
 
『だから、業務としてである!特許は会社として当たり前に申請した!個人の権利としては認めない』
 
「とにかく、今では1兆円規模の市場です!10億円ぐらい、わけないでしょう!?」
 
『会社としては、業務以外の一個人にそれだけの補償はできない!』
 
「ナンだとこの野郎!!オレの研究をナンだと思ってるんだ!?」
 
『やるのか会社相手に!?一社員の研究をそんなに大げさには扱えないぞ!?』
 
 
 
さて、同じ文脈と意味合いでオナニーとして読み解いてみる。
 
 
A氏(「」)「○を開発できたのは、私のオナニーがなくてはできなかったはず!!」
 
会社(『』)『○開発は会社の業務である!必要なオナニーも含まれている!』
 
「オナニーへの費用は予算として計上されていた!会社は認めていたはず!!」
 
『だから、業務上必要なだけである!オーガズムは会社としてした!個人の行過ぎたオナニーは認めない』
 
「とにかく、今では1兆円規模のエロスです!10億円ぐらい、わけないでしょう!?」
 
『会社としては、業務以外の一個人のオナニーにそれだけの補償はできない!』
 
「ナンだとこの野郎!!オレのオナニーをナンだと思ってるんだ!?」
 
『やるのか会社相手に!?一社員のオナニーをそんなに大げさには扱えないぞ!?』
 
 
まぁ、泥仕合ですな。
 
結局「オナニーの価値」というものが裁判で争われることになる。
A氏は「オナニーの必要性・芸術性・未来のオナニーへの希望・10億円」を訴える。
会社は「オナニーは(仕方ない)認めるが・・・
オナニーのし過ぎの害悪性・芸術性はない(あってたまるか)・10億ざけんな!?」を訴える。
裁判所は昔は(A氏みたいな方を)封印してきたが、最近は個人にも賠償をしている。
理由は簡単。 「私たちも人間ですからオナニーは嫌いではないです」ということ。
ただ、「オナニーの価値は過大評価しても後々困るので」ということで判例はそんなに額は大きくしない。
 
仕事人間というのは仕事がオナニーなだけである。
「自己表現の方法」が異なるのは当然に起こる。
ファッションが好きなら、服装で自己表現するし、歌なら歌、絵なら絵、詩なら詩・・なだけである。
「自分の世界の自分の基準」でやっているなら、公開はあまりしないほうがいいかも知れない。
ただ、「見せたいわけじゃない・・けど少し見られたいかも」は誰でも持っている真理である。
化粧したり、流行の服や歌を追うのも「自己表現の一環」であろう。
 
ウツ人はそういう一般社会からは隔離されて感じる。
が、ウツ人は自分を否定することはない。
ウツはウツ人を否定しない。そんなに悪いやつではないのだ。不愉快なだけだ。
 
 
 
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こういう「シモネタ記号」が日常には素粒子レベルで満ち溢れています。
「私は吸わない・吸わせない!」そんな「タバコ」なレベルでは太刀打ちできません。
今からワクチンをうっても遅いです。
早く免疫をつけてエロス溢れる空気を肺いっぱいに吸いましょうではありませんか。
 
簡単ではありますが「参院選に向けた所信表明」を終ります。