MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

W杯~サッカーが嫌いであるが・・

オランダが勝つとは思わなかった。
 
実は早寝して見たのである。
「矛盾」からすれば「最強の楯と矛が戦った場合」、両者とも砕け散るのである。
ウルグアイ(だったか?)はディフェンスは申し分ない・・と思った。
オランダはボールの支配率は低かったと思う。
 
南アフリカ開催のワールドカップの準決勝である。
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ネーデルランド(海抜が低い土地の意味)がオランダであり、英語の辞書で昔知った。
 
ボクはスポーツ観戦が全般嫌いであり、特に野球とサッカーが大嫌いである。
理由は「野球はきちんとやっていないので判らない」、サッカーは「好きだったがやめたから」である。
 
準決勝のサッカーは、無音で観戦した。
 
Jリーガー崩れごときが「世界レベルのサッカー」を語っては観戦意欲が萎えるからである。
(失礼)
スポーツはラヂオとかまぁ流すから仕方ないのであろうが、戦術論とかに言及されると辟易する。
戦略とは、大局を見ながら監督が考えるものであり、戦術は「選手がその場で考える」ものである。
 
お前ら黙ってろ! ゆくり観せろ!!
 
ボクは小学校の6年間サッカー少年で過ごした。
毎週土日はサッカーであり、ドラえもんも平日の15分しか見られなかった。
日曜は大抵疲れていて、朝の黄金タイムも結構「試合と練習」にとられた。
何より「友達がいない」状態での半日・全日はきつかった。
なぜなら、同じ小学校はレベルが低く、練習意識も低かったのである。
どうしても、長くやっている・・というだけで同じ学校の友人とは差がついていった。
 
キャプテン翼なるマンガのお陰、あるいは「そのせい」でクラブへの入団者が増えた時期は期待した。
「同じ小学校の友人が入ってくるかも・・」 ダメであった。
他の小学校は、普段から「皆で練習する」からレベルも高く、モチベーションも高かった。
 
一軍の自分を呪った。
 
わざと休んだり、さぼったりして二軍に落ちたときは嬉しかった。
友達の皆とワイワイできたし、休み時間も「一人でジョギングするしかない」ということがなかった。
が、現実は厳しい。
一軍と二軍の差は、いつの時代も歴然としていたのである。
走れば、全力じゃないのにボクだけ速いし、試合すれば難なく抜いて「スキ満載」のゴールが待っていた。
 
(コレは書いていて、何て生意気な!と思うのであるが、当時は深刻であった)
 
どんなに力を抜いても二軍のなかでは目だって、一軍ではなぜかスターティングメンバーなのである。
友人がいない・・どころか、他の一軍メンバーとはバス停の待ち合いからひとことも交わさなかった。
他の面子は「同じ小学校」「家が近い」・・そんな簡単な理由で、ベタベタしていた。
ボクもチビ(6年生当時130センチ前半)とか無口とか、乱暴な理由でハブにされた。
した方は忘れても、された方は憶えているぞ。
弁当のおにぎりを隠されて、やっと見つけた泥交じりのおにぎりのカケラで臨んだ試合は走れなかった。
 
それでも「やめたい」とは思わなかった。
いつの頃か「マリノス選抜」というのから声がかかり、一流選手のプレーを見られる機会があった。
キムラカズシ・・(ボクの中ではペレに近い響きである)に言われた。
 
 
背が小さい、怪我をしている、調子が悪い・・・全部、言い訳だね?
 
どんなに苦しくても「最悪のポジションでも最高のプレーができる」・・ソレがサッカー選手なんだよ?
 
 
カズシは「フリーキックは体で覚える」と言いながら、遠目からカーブさせて簡単に「枠」に入れていた。
 
 
そのセリフで麻痺したボクは「絶対に抜かれたことがない位置」で見事に「股」を抜かれて決心した。
 
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↑ なぜか当時「サプライズ」で来ていたこの御仁に抜かれた。
 
小学校は「全力」でやろう。
そして、そっれきりサッカーはきれいさっぱりやめよう。
 
転機は結構早くきた。
ボクは当時(今はすっかり良くなったが)ひどい喘息もちで、季節の変わり目は呼吸すら出来なかった。
その試合当日は、更に寒かったり暑かったりで、ボクの喘息発作はひどかった、酷かった。
母親は「筋は通すヒト」で、喘息でもメンバーの試合はしっかり見なさい!付いていくから、と言った。
とりあえず「ハブられる」はなさそうなので、とりあえず行った。
 
ボクのDFの位置には「他の面子と同じ小学校」のヒトが入っていてほっとした。
「みんな友達」の方が上手くいく・・息も合うし・・プレーをなじりあうこともない・・。
 
拮抗していたが、一方的に攻め込まれるようになってきた。
明らかに新しいDFの彼がスタミナが切れて、
ソレをごまかすのに突出して、おまけにカウンターを食らっていた。
 
(良く憶えているなぁ・・)
 
ボクは喘息で苦しくて「お母さん帰ろう?」と言った。
母親も呼吸音を見かねて『少し横になってみようか?』・・そんな矢先である。
 
 
 
『おい、○!!行けるか!?』
 
 
 
行けるか・・じゃぁねぇ!? 死ぬぞ、今出たら・・。
母親も首を振った。
監督もコーチもこっちを見ている。オニだ鬼畜だ!血も涙もねぇ・・。
母親は必死に説得してくれたが『とりあえず、ねぇお母さん、とりあえず』といやらしく説得している。
結局、
『苦しかったらわざとでも倒れなさい!お母さん走って行って救急車呼ぶから・・』
という母親の「この場から逃げたいけどごめんね」という顔を見て、出るだけ出ることになった。
 
試合という「本番」と、一軍ということ、カズシの言葉・・・もうどうでもよくなった。
敵のFWのドリブルは全部、全部とめた。
カウンターも見切った。 
逆への切り返しも見切った。
何より、体のハンディ分、頭を使った。
チラ・・と見ればどこに蹴るかは判る・・そんなレベルの自分を呪った。
苦しい、苦しすぎた。 でも倒れている場合じゃなかった。
喘息だろうが、ハブられようが、フィールドでは関係はない。
 
最高のパスカットをして、FWにつないだ。
FWはチャンスであった。 惜しくも得点にはならなかった。
SFWはY市A区でも屈指のストライカーであったが、4人を抜いた時点でコースが決められていた。
 
試合が終ると、監督もメンバーも急にボクの肩を叩いたり、さすがだ!などと声をかけた。
それから数日、ボクは寝込んだ。
 
サッカーは嫌いになった。
小学校でそういうレベルである。
Jリーグだって心底バカにはしていない(できるはずがない)。
マリノスユースで見た顔が、こいつ小学生のレベルじゃねぇ・・という顔が
Jリーグの映像の中で成長して、それでもあっさりと抜かれて潰されていった。
 
追い詰めても追い詰めても、先があり、上がいる・・。
プロ選手の心情はいかばかりであろう。
 
ウルグアイ・・は最高のディフェンスをしき、得点も決めた。
が、オランダは
「最悪のポジションでも最高のプレーをした」
それだけである。
それだけ・・・が当たり前にできるのがプロであり、世界レベルである。
 
これからもう一戦観ようと思う。
 
無論、無音である。