MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

ショートショート7/15

突飛な夢はメモしているが一向に役に立たない。
昨日は久々に「まともな夢」をみたのでショートショートにする。
長いのだが、夢であるから「ひとこと」なのであろう。
着想や発想と同じで、具体化するのに時間がかかり、ソレが無駄なものをつけたりする。
極力、夢の通りに書きたい。
では・・
 
A氏がいた。
A氏は代議士であったが、あちこち鞍替えした挙句いよいよ寄り付くところがなくなった。
A氏は、ある「ばかげた法案」を提出して、それで潔く辞めようと思った。
 
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年収1000万以上の国民のみにエアコン購入を許可する。
 
 
A氏はマンネン「窓際候補」だったのでろくな官舎もあたらず、
かといってワンルームを借りるにはプライドが許さなかったのである。
「どいつもこいつもエアコンで涼しい夏を過ごしやがって・・」そういう気持ちだけでもっともな法案を作った。
・ エアコンは贅沢品として指定し、ヒト本来の生体バランスを取り戻す国家的プラン
・ エアコンの室外機がヒートアイランドの原因として大きい
・ 日本が温暖化施策を引っ張ることに国際的意義が大きい
(・ 一般人がエアコンなんて生意気だ)
表向き、温暖化に超党派議員が結束した。
結局マスコミが大騒ぎしたのが逆に奏効し、この法案は通ってしまったのである。
(もっとも「生意気だ」という理由が議員感情をくすぐったと言う点は否定できない事実であった。)
 
当然、家電業界から猛反発を受け、大手メーカー各社も「国家による企業弾圧」と激しく糾弾した。
 
 
せめて350万円か400万円以上に緩和すべきだ。
店舗など「不特定多数の一般客」のための特例は置いて欲しい。
 
 
仕方なく特例だけを付したが法律は残った。
A氏は議員を辞した。
議員と言う前歴に引き取り手はなく、皮肉にも「国外の扇風機メーカー」の一工員として働くことになった。
 
まず国会からエアコンがなくなった。国民とマスコミの圧力である。
時をおかず、市役所や公団体が全てエアコン撤去ということになった。国民とマスコミの圧力である。
高所得者世帯はステータスとしてエアコンを撤去しなかったが、連日の嫌がらせには辟易した。
A氏の法案は「平成の悪法」として、マスコミも挙って書きたてた。
A氏は世間体から解雇され、また議員年金未納であったため、
晴れてワンルームで蒸し暑い毎日を送ることになった。
 
数年がたち、おかしな好景気が日本をおおった。
涼しさを求めて、国民は一斉に「店」に殺到したのである。
外食産業は空前の伸びを見せた。
コンビニ業界の伸びもまた絶後であった。
屋内での自炊が地獄と化し、屋外で焼肉ブームが続き、夏季の精肉部門はドル箱となった。
面白いのは書店の売り上げ大幅増であった。
ごった返した図書館で長々と本を読むうち、本の魅力に取り付かれた国民の購買意欲と解された。
「涼」に特化した服飾メーカー各社も戦後始めて大幅増に転じ、水着部門は生産ラインがパンクした。
パチンコやアミューズメントパークも「ファミリー向け」に特化し、以前の胡散臭さは全く消えた。
風営法も大幅に改正され、24時間営業のパチンコ等には宿泊施設も付いた。
「接客型風俗店」も法改正とともに24時間化が進み、また価格競争による値ごろ感から受給ともに伸びた。
大手家電量販店は早くから「涼」を求める客でごった返し、家電業界は「何となく買物」を狙った。
「何となく買物」での売り上げは、エアコンのソレを1四半期で抜いた。
住宅メーカーも「オール電化・高気密」から「スカスカ通気」へ転換し、住宅価格は500万円台にまで下落した。
首都圏には通勤用、田舎には別荘、という贅沢がやがて常識になり、北海道は別荘地の比率が8割を超えた。
 
おかしな現象は景気にとどまらなかった。
「家に帰っても暑いだけ寒いだけ」という心理は、24時間ウロウロする群集を生んだ。
当初は治安の悪化が懸念されたが、ソレは杞憂に終った。
窃盗や放火などは無論、殺人・傷害・暴行といった凶悪犯罪にも必ず目撃者がいたため検挙は容易になった。
学童は夜に外で遊んでいても「当たり前」という多くの視線に耐えられず、夜には帰宅するようになった。
「24時間型社会」は、地域の安全にも貢献し、なんとなしに「自警団」が創り出され、その功績は警察を超えた。
警察は年々縮小し、自衛隊の国防論も「オラたちがやるだよ」的な世論の前に縮小を余儀なくされた。
 
郊外の旅行も日常化し週末は少し旅行でも、という風潮も日常化した。
ブティックホテルも住宅地に乱立し、そしてソレは当たり前になり、なぜか出生率が上昇した。
一方で「暑さによる熱中症」で多くのお年寄りが命を落とし、ソレは数年で100万人単位になった。
「独居老人対策」が声高に叫ばれたが、政府はソレに対し積極的には対策を講じなかった。
「年金受給者の急激な減少」という事実は、乱暴ながら、出生率の上昇とタイミングが良すぎたためである。
65歳以上一人に対して、生産人口は25人という理想を越えた数字が発表された。
更に「引きこもっていられない」という若者老者が就労を求め、ソレに対し雇用は寛容であった。
決定的であったのが、はじめは屁理屈と思われた「生体バランス論」がホントだったという事実である。
動いている以外は眠っている・腹が減ったら食べる・極力歩く(自動車のエアコンも撤去されていたため)
・長距離移動は公共機関(JRやバスのエアコンは特例であったため)・疲れたら休む・・・
忘れられていた生活が常識になってしまったのである。
各疾病の罹患率は激減し、日本は「ガンの罹患世界最低」とWHOから認定までされた。
 
危惧されていたサービス残業も激減して行った。
「この暑い中寒い中、仕事していられるか!?」という心理が、完全時間内労働を実現してしまい、
好景気から交代制の人員にも不足せず、持続可能な24時間社会に貢献した。
 
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既に市役所をはじめ多くの「役所」が民間に委託され、官僚も昔となった頃でも国会は存続していた。
国民が直訴した「法案」を審議するだけの機関であったが、内閣も首相も存在していた。
内閣総理はあのA氏であった。
かなりの高齢であったが、対立候補もなくすんなりと党首になり総理になった。
マスコミが一転して「亡国の救世主」と祭り上げたため、A氏の認知度はアイドルの比でなく、
A氏が現役復帰して「時のヒト」になるのに時間はかからなかった。
A氏は多忙であったが、辛くはなかった。
連日、精励して政務にいそしみ、国民の信望も厚かった。
かつて勤めた扇風機メーカーのCMにも出演し、バラエティにも良く顔を出した。
若いアイドルがA氏に聞いた。
 
 
 
『総理?エアコンって何ですか?』
 
 
 
A氏はエアコンの機能をぶっきらぼうに話した。
翌日から放送各局でWHAT IS エアコンが始まった。