板野友美さん~ウツ人と芸能人
芸能人の内容を書くと「内緒で使わせてください」という文言をたまに頂く。
ボクの記事は大した内容じゃないから別に断らなくて良い。
独り言に突っ込みも断りも不要なのである。
ブログは自己満足なのであるから、それが荒らされたとか、不用意なコメントだ、
とか憤慨すること自体がおかしいと思うのである。
整然とした記事なら、無言で通り過ぎるのである。
「便所にラクガキするな」というのは、筋が通っておらず逆効果的で落書きは増える。
左の職業アイドルのヒトは知らない。
真ん中はヒトではないが職業正義の味方である。
ボクは芸能人に疎い。
彼女のファンである理由は、高いファッション商品性と生き急いでいる感じへの好感である。
すいません格好つけました。ウソです。
かわいいなぁ、とそれだけです。
付け加えるなら、誕生日とアダナが弟と同じであり、「たまたま憶えやすかった」のが一番の理由である。
(弟は応援してもし足りないし、結果が残念だとボクが罪悪感を覚えるので体に悪い)
そして、嫌いではない安室さんにたたずまいが似ていたのもある。
ボクはファッション誌を良く見るので紙面の彼女は見ていた。
それでAKBで見て、少なからず調べた(何でも調べる癖がある)。
出身が同県で、友人がいた小中学校の出身であり、もう「知り合いな気分」になったのである。
AKB内の相関関係なるものも調べたが、彼女を中心とした力学を知ってもふーんという程度である。
何ができるわけでもないし、そう考えるだけの若さがないのである。
彼女の地位を脅かすメンバーに悪意があるか・・?ない・・というか知らない。
メンバー内の力学については「トモちゃん自力で頑張って」と思うのが限界である。
「よーし!それならオッチャンが何とかしてやる!」とできるなら親戚が限界である。
他人ならソレはただのオッチャンではないし、いい人かどうか来歴が怪しい。
ボクはただのおっちゃんである。
劇場で猛る、とか、熱く語る、とかは出来ない。
22日に写真集がでたが、ソレすら買わなかった。
妻に「コレはトモちゃん個人にに印税が入るのか?」と聞いたら
「そんなわけないでしょ!?」と即答された。金もなかったので良かった。
近所に住んでいれば、頑張って!と、のど飴のひとつもやれるが近所ではない。
事務所に知り合いがいれば「もっと休みをやれ!」とぼやきもできるが、そうもいかない。
そもそも、ファンらしい応援心情に薄く、親としての老婆心しかない。
板野さんの前は浜崎あゆみさんが好きであった。
オリコンに入りだして次々にヒットさせ、休んでるのか?と心配になって見るのをやめた。
というか、売れて「健康アドバイザー」みたいなお方がついているだろう、
そうなると生き急いだ感じは薄まるだろう、そんなアユは違う、といった天邪鬼な了見であった。
が、今でも流れていると手を止めて見る。
異性との交際だろうが事件のゴシップだろうがでもファンとしては関係ないのである。
職業芸能人に対しては「仕事に対し真摯」でればあとはどうでも良いのである。
例えはひどいが、アル中でヤク中で整形していようが、仕事が立派なら良いのである。
親兄弟でもないのに「あんなことするなんて!ヒトとして!」と喚くほうがヒトデナシである。
自らの商品価値を知り尽くしていて、売り方も知っていた。
飯島さんは生き急いだ結果が結果だったから、納得してしまった。
神田さんはファッションの受け側でなく発信に転じた、才能を十分に生かし素晴らしいと思う。
文脈が飛んで申し訳ないが、男になる。
昔からナイナイ岡村さんが好きであるが、やっぱ生き急いでいたからであった。
彼については以前に語ったのでココでは省略する。
病名だの復帰計画だの、デマゴーグが多いが、ボクには関係ないのである。
仕事に真摯激烈で、生き急いだ結果「職業芸能人を休止します」とのこと。
ソレに対し何も言わないのが芸能人へのルールであると思う。
こうやって文章を書いていて、水嶋ヒロさんを思い出した。
水嶋ヒロさんは何でも持っている。
顔良し頭良しスタイル良し・性格良し・語学堪能・文才芸才あり、これで7つである。
7つ独りに集中である。
つまり、最低7人は「何も取り得のない男」がいるわけである。
そのうち一人はモデル志望で「オレだって仮面ライダーやっていれば」と悶々としているかもしれない。
また別の作家志望の一人は「オレだって有名なら・・」と鬱屈しているかもしれない。
それも筋違いである。
「才能を持つものがソレを生かす」ことに嫉妬はしても否定するのは筋違いであると思う。
自らの才能を知り、ソレを最大限に生かす方法を考え、実行し、繰り返す。
芸能人とは、そういうプロセスのプロであり、そうでなければならないと思う。
もっと○○できれば・・と悶々としている一般人より、芸能人は自己実現への具体的プロである。
「こんな自分は自分じゃない」と思うならどんどん突き詰めればよい。
○○なんか所詮・・と他人を笑うなら、自分探しなんかやめれないい。
探す自分は大したことがないし、探し当てた自分はもっと大したことがないであろう。
ウツ人に代える。
なぜうつ病になったか?と考えることより、どうやってウツを知り生きるか?
ウツ人とは、ウツを抱えて生きることのプロであり、生きることに貪欲でないと成らない。
死ぬのを考えるのが病であり、どうやっても死なないのが仕事であると思う。
『ほら、うつ病だったから・・・』という世論へのアンチテーゼとしても生き抜く必要がある。
勝手な理由を持ってきて「生きるステージ」から下りたり、足元を掘り崩してはならないと思う。
・ ウツだけど家族がいるから・・
・ ウツだけど仕事があるから・・
・ ウツだから・・仕方ないから・・
ウツを重くする荷物が軽くなるのなら、荷物など全部捨ててしまえば良い。
必死で家族を装っても、失うのはたかだか家族である。
自分の命ではない。
命と天秤にかけられる仕事など存在しない。
失うのはたかだか仕事である。
生きていれば取り返せないものはない。
板野友美さんの話だったが、やっぱりこうなった。
彼女も職業としての芸能人が辛いのなら下りればいいだけのことである。
ボクは若いノリに付いていけなくなったら、勝手にファンをやめる。
というか既に純粋なファンではない。