午前4時の玩具
タイトルは砂澤ビッキ氏の作品から拝借した。
ビッキ氏はウタリ出身の芸術家で北海道内に移り住んで旺盛な活動を続けた。
ビッキ氏本人は見事な体躯で豪快であったが、寡黙で人懐こいヒトであったらしい。
初めは当人も不慣れな土地に戸惑っていたらしいが、ソレは後になって笑い話となったらしい。
全て本や映像による情報なので、
ボク自身のビッキ氏の印象は、霧中の巨人ぐらしいでしかない。
ずいぶん前になるが旭川の美術館で「午前3時の玩具」を見たときには立ち尽くした。
一応、順路なるものがあったが、すぐ引き返しては見て、また立ち尽くした。
過酷な自然に晒されて、なおその自然と向き合う。
そして自然の中の自分と云うものが見えてきたとき「作品」はときに自然をも越える。
ソレは自然への挑戦、ではなく、敬愛や慈愛、感謝であると思う。
あんな作品はビッキ氏だって何度も出来ないと思う。
何度もあんな奇跡を起こされては自然だってたまらない。
凡百凡千のアーチストや、ボクみたいな冷やかし視聴者は起き上がれなくなる。
妻子が帰省している。
しばらくは独身平民を気取ってみようと思う。
朝飯から夕食まで同じメニューで、光熱費を気にした生活である。
早寝早起き粗衣粗食、悪く言えば年寄りくさいのである。
平民は気を悪くする。
早起きしたら珍しいものを見た。
多分15度(マイナス)くらいだったと思う。
家の前のイチョウの木に毛が生えているように感じた。
強い風が吹くたびに少しずつ「毛」がフサフサとしてくるのだ。
「樹氷」ではないが、霧氷の一種であろうと思う。
画像は蔵王のものらしいが、こんなに白くない。透明なのだ。
触ると冷たいネコヤナギのようなのだ。
綿棒のなんかもっとチクチクする種類なのだ。
「革ジャン?あ、これ毛かぁ!?」という微妙さなのだ。
そして、触れた途端に消えていくのである。
まだ真っ暗の午前4時頃であった。
そういうときに限って、ものすごい創作意欲が湧いたりする。
一瞬のインスピレーションが落雷のように落ちてくるのである。
何のイメージなのか、書くほうか、作るほうか、歌うのか踊るのか・・。
とりあえずタバコをくわえてアホ踊りしていると、人影。
『・・朝刊です・・』
と渡されて我に返る。
インスピレーションは消え失せ、今日の特売しか頭に入らなくなるのである。
ボクは「自然」というものの前ではおもちゃにもならん俗物なのである。
俗物の中でも、肉が好きタバコ大好き酒も飲みたいな、という大盛りの俗物である。
ビッキ氏の創作は午前4時頃始まったという。
考えるに、インスピレーションをち構えるヒトである。
自然も彼を敬愛していたと思う。