MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

吉田先生に謁見

吉田良先生に会ってしまった!
話してしまった!
 
球体関節人形を「たしなんで」いる方なら初心者が会う、ということが暴挙だとすぐにお判りだろう。
場所は自由が丘、そう人形表現集団「ピグマリオン」の人形教室のあるとこである。
ボクは軽い気持ちであった。
が、ウツ人である。
だから、何かあったら大変、と高齢の母親が着いてきたことも仕方がない。
今回は恥じた。
「見学自由」・・そこだけ読んで、ボクは気になっている服をみてみよう、ぐらいの気持ちであった。
自由ヶ丘から電話して、出たのが「吉田先生」だったと知ったときには遅かった。
 
ボクは生来、思考派であったらしいが、まず行動する、という無謀な一面もあるのは知っていた。
球体関節人形を「とりあえず作っている」大バカモノな初心者が日本の大先生に会う・・。
暴挙、いやテロに近い。
心中は・・表現しがたい。
 
・ にわかクリスチャンがバチカン観光ついでに法王に会う
・ 幼稚園の頃空手とか柔道やってました、というヒトが講道館長に会う
・ ガンプラが好きなだけのヒトが冨野監督に会う
・ 皇室オタクが皇居に行って皇室の方に謁見してしまう
・ AKBファンの兄ちゃんが前田さんに会う
・ フランスパン好きがサルコジ氏に会う
・ 体地祈を一回もせずにタクシーでダライラマ生神に会う
 
つまり、本来経るべき「あらゆる手続き・過程・筋」を一切無視して神に会ってしまう事態である。
 
困ったどころではない。
パニックどころではない。
教室では汗が止まらなかった。
口数も限界まで減った、話せなかった。
汗が止まらないのは「室内で北海道用のコートを着ていた」だけらしかった。
後で気づいた。
教室は「自由ヶ丘の近くに住んでいるご婦人がた」が人形を作っており、
まず、それだけで尋常ではない。
吉田先生は『これも見てみて』と、ボクが貧乏を理由に遠ざけていた本を無造作に渡してくださった。
 
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おそらくボクが持っていたら「殿堂入り」してそのまま開かず飾っておくであろう本である。
しばし積み重なった貴重な本をむさぼり読んだ。
 
『可淡はねぇ・・』
 
先生・・呼び捨てですか!?
KATANDOLLの天野女史ですよ!?
そうか、ただの弟子の一人なのか・・。
教室のご婦人も『キレイな子だったのにねぇ』と夭逝の天才を惜しんでいた。
会っているのか!?知っているのか!?
やはり、この空間、ボクには重過ぎる高貴な毒気に溢れている。
ナウシカでいう「腐海の毒」も、自由が丘のあの空間は「森のヒト」にはいつもの空気なのか。
 
あぁ、今頃チラチラと思い出してきた。
思い出し、というよりフラッシュバックに近い。
 
ベルメールは読んだ?』と先生。
「はい、北海道では原書しか図書館になくて、原書を・・」
 
『澁澤は?』
「はい、澁澤龍彦は少女論という形では読んでいます」
 
「あ、ヒエロニムス=ボッシュのコレ(本の中の写真)は可淡さんの作品だったんですね・・」
『そうそう、カタンのね』
 
呼び捨てが慣れない・・。
「寺山の天井桟敷からシモンさんを知って、札幌のアングラでシモン展を見て作り出しました」
 
『好きに作ればいいよ』
 
先生だから、そんなさらっと言えるんですよ・・?。
教室のご婦人も和気藹々と作っている。
 
『男のヒトが作る女の子の人形と女のソレは違うからね、面白いよね?』
あいづちすら打てない。
 
そう、リビドーやシンスピレーションを女性は子宮で感じる、そう個人的に思う。
男性は睾丸で感じる。
脊髄反射であるから脳は仲介しない。
「ピーン!」を紙に書き留める頃には忘れてしまうのはそういう理由である。
女性は絶叫マシンが好きである。
ソレは子宮という「受容器官」があるからである。
男性はフワフワとした浮遊感や落下の感覚を受け止められず「何か苦手」と避ける。
生理としてしかたがないのである。
逆に女性の裸体を、男性は睾丸で感じてしまう。
表現が直情的になる、これも生理である。
男性の裸体は、女性はきちんと脳で感じる。
お尻の形が好き、とか、裸体より声がすき、と客観的に判断できるのも女性の特権である。
 
ふぅ。
今日は寝るとしよう。
 
ボクは緊張して半パニックになり、高齢の母を置いて、電車で逃げるように帰った。
母には全く判らない行動であったらしい。
迷惑をかけたが仕方がない。
睾丸がさせたのである。
母には・・おそらく睾丸はない。
厚顔ではある。