都会での山
この数日神奈川、東京と散策してきた。
殆どが親戚への挨拶である。
都会は暑い。
温暖化で片付ける。
北海道仕様のコートが暑い。
タートルネックが暑い。
ジュリーの歌のように脱いでいくと長袖シャツにジーンズでやっと落ち着く。
喫煙スペースがない。
雑居房みたいな個室を見つけて入り込んで一服する。
厚着の都会人にジロジロ見られる。
目が合ったので「もっと薄着になりますか?左の乳首の方が自信あります」と言ってみる。
逃げていった。
ヒトは寒暖化である。
大山という小さな山は修験道ではちょっとした聖地である。
俗に「山伏」と云う方が二人一組ぐらいで山にこもって、何ヶ月か修行する。
山から山へ延々と続く修行。
彼らに出会うことはない。
修行中の僧侶も「俗」から隔離され、一切を修行に捧げると聞く。
ソレと同じである。
ケーブルカーに乗って「車窓からの景色」を見る。
そうとうに急である。
が、ケーブルカーという「社会の中」にいる限り、目的地までは近い。
途中下車が限られる分、雨風はしのげて快適である。
老齢の両親が同行していたので、ケーブルカーになった。
ボクは徒歩が基本であるので、登山がしたかった。
大山をケーブルカーで登るとは、まかりならん!
こういうのを「強がり」といい格好が悪い。
外の景色は速く後方に流れていく。
時折、登山者?が見え、気温も下がったのか風花が見えた。
「雪だ!」同乗者が騒いでいる。
日本人じゃなかったが、多分そう言ったのだと思う。
中国人?は何を言っても「ケンカ腰」に聞こえて怖い。
北海道が恋しくなる。
そうか、ボクは雪が欲しかっただけであるか。
ウツ人なら歩くべきではなかったか・・。
快適さに負けるボク。
カネは払ってやる、という甘言に弄されるボク。
おそらく修験者には向かない。
ケーブルカーはアプト式で一気に山を上っていった。
速いが達成感も挫折感もない。
不安や焦燥とも無縁である。
息が苦しくなる。
安心や余裕は、欲すものではなかったのか。
やっと山頂らしきに着く。
深呼吸をする。
峠の甘酒屋が叫んでいる。
『誰もいませんからゆっくりできますよぉぉ!!』
喫煙スペースに負けた。
修験者ではない。糖尿病でもない。
逃げ口上をばかりである。
「マイナス気温にはなりません」というのを聞いて落胆する。
北海道が恋しくなる。
そうか、ボクはマイナス気温が欲しかっただけであるか。
ケーブルカーの注意看板。
「個々人で(各人で)お持ち下さい」とは書いてない。
都会の四角い空の底で、あえいでいた田舎モノには良い清涼剤である。
少し心の片隅が温かくなった。
神社で家内安全を祈る。
大山は「雨乞いの神」らしい。
ご利益なし。
まぁ病気の治癒を願わないだけ良いか。
ウツ人は、道を自分で決められる。
病気の波も自分次第である・・ただ予測も対処もできないだけである。
厳しいじゃねーか・・。
無理やりつくった洞窟みたいなとこに入る。
細石(さざれいし)の大物を見る。
なるほど、小さな石や砂の集まりである。
ココまでには何百年とかかるであろう。
さざれ石のコケのむすまで・・・良い歌じゃねーか・・。
ブログのみんなを思い出す。
ありったけの小銭を賽銭箱にを入れる。
13円。
貧乏な上に貧乏性であり不吉な数である。
ご利益なし。
すいません。
下山し、ツアーで強制的に土産モノ屋に入る。
なんだか偉そうなヒトの写真が飾ってある。
皇室とかの親戚とからしい。
興味なし。
原監督とその店の息子の写真もある。
店の主人が話しかけてくる。
『原さんの妹?ぉのぉ、息子、甥っ子が、もうドラフトにかかるんだよ』
『毎年、毎年ココにおまいりに来るんだよ』
興味なし。
余計な情報が大杉。
巨人軍監督が「雨乞い」をしている限り先は明るくない。
詣で先の変更が急務である。
両親(ともう一人の母親)が楽しいらしく、箱根に行こうといった。
親孝行は生きているうちにしよう。
カネを全て払ってもらって何が親孝行か・・。
まぁいい・・顔を見せるだけでも大いに違うかもしれない。
箱根の「駅伝像」でも見て、今年の優勝校の刻印でも写真に撮ろう。
目的のものだけなし。行った甲斐なし。
なぜか「おいしい」と喜ぶ。
都会は景色が縦長である。
そこでの「山」は趣があり、だから皆出かけるのであろうか。
登るのであろうか。
ウツ人は駅伝ではない。
タスキをもらっても預けてもいけない。
急に始まる一人きりのマラソンである。
ゆっくり行こう。
「皇室御用達」と謳っている店のワカサギ揚げを食べた。
下痢をした。
ボクは高貴な舌でも胃腸でもない、ということだ。