MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

秋葉原の事件

2記事の同時更新である。
一部換えるだけの姑息な作業である。
てんちむさんと対比する方が「ボク個人として」書きやすかった・・それだけの乱暴な了見である。
 
一審死刑の報は旅先で知った。
旅館に頼んで全紙を読んだ。
読んだ理由は、一般論が知りたかった、新聞を買いたくなかった、というひっどい屁理屈である。
「事件暴露本」に装丁されてしまってからでは、ニュースを読む感覚では読めないだろう、そういう理由。
 
ボクのようなオッサンになると到底、理解どころか何を考えているのか判らんと思った。
が、判った気がする。
判決文は少ないのに、余計な情報が多いので1時間以上かかった。
疲れた。
凶悪な事件というものは、オッサンたちが考えているほど、実行犯のその理由は重くない。
ヒトサマの人生を盗み、一瞬で終らせるのであるのに。
被害者以上に嘆き苦しむのがヒトであると思う。
事件への入り口は軽く、のど越しも後味も軽い。
コレは賛辞ではない。
怒声、罵声にもならん、キエーィである。
「コレは被害者の分・・これはトキの分・・そしてコレがコレが・・・ヌォォォ」である。
判決からして、主文の簡素な感じからして、裁判所も判決に苦しんだのであろう。
被害者のカサブタをはがして出血を強いているのではないか・・そういう余計な心配もしていた。
どこまでも淡々とした主文であった。
「極刑以外に出しうる結論がない」
どんな罪を犯しても、世論を背にして、ヒト一人に私情で「てめぇ死刑だぁ!」と裁判所はいえない。
判決としても「叩けるときに一気に行け!」という強引な姿勢はできないのである。
個人として賛否も何もない。
極刑で良いのである。
「自分の居場所を、どうすれば更に快適にできるか」
そんな単純な理由がどんなブラックボックスに入ったのか。
「歩行者の海に大型車で突っ込む」という結論にはどんなバグやミスがあったのか。
どうやれば生きていける?を懸命に考えている一般人・ウツ人がひしめく中で、
こういう単純な生き方は・・無礼、いや・・事実に言葉が追い越されるのである。
 
 
ナイフは自分に向けろ。
 
 
 
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感想である。
ひとこと、である。
ある時期に「ナイフ」だと気付く感覚は、奴隷階級のない日本では万人にあると思う。
ソレを誰にふりかざすか?
自分か自分以外か。
てんちむさんは、きちんと傷つけて傷ついている。
秋葉原事件の主犯は「自分以外」を死傷にいたらしめた。
多分、本人が考える数千倍は傷つけているであろうが、そんなこと関係ない。
・ リアルでは完全に距離を置いていた・・本当か?
・ ゼロ距離で攻撃されて自身も傷ついている・・本当か?
リアルでは人間関係を遠ざけることはたやすい。
それでも絡みつくのが人間であり、ソレをゼロ距離と言われてしまっては埒がない。
ヒトとの「間合い」はリアルでしか判らないのだ。
こっちのナイフと向こうのナイフとが生み出す緊張と信頼が「間合い」を生むのだ。
間合いすら放棄するから「ゼロ距離」などというゲームの軍事用語めいた表現になるのだ。
ナイフは、自身が一番傷つきやすいということを体感しているはずだ。
全く度し難い。
「ネットで中傷された被害者」ではない。ただの凶悪犯である。
社会で社会人として生きる以上、不器用だから、では逃げ切れないであろう。
会社・家庭というリアルと、バーチャル・・・いいとこどりはできないのである。
出来ないから行動に出る。
行動が、あさっての方向に出た。テポドンより劣悪なプログラムである。
そういうとこに、わが身可愛さからナイフだけを突出すような幼稚さを感じる。
「リアルな自分が判らない」・・・そんな歪んだ欲求を、
よりによって、避け続けていた社会にぶつける、そういう筆頭角である。
ネチケット(シカト・いじめ・ネチネチグチグチ)が渦巻く中で、
どこまでも2次元感覚で解決しようと悩む姿がバーチャルである・・が、リアルだから怖い。
 
 
 
秋葉原にはしっくりくるか・・。
そう、ボクが奨められて少しやって完敗した恋愛ゲームである。
これをリアル(現実)として立ち位置を決めると、秋葉原事件は簡潔である。
カーソルで選択し、ボタンで決定し、出る答えは予想の範囲内である。
 
ゴメンで許されることと、何度死のうが償えないってことの・・
 
そういう、赤黒い血肉とか甘辛い涙とか生臭い吐息に満ちた選択肢はゲームには表現が難しい。
下半身で考える男には???である。
一人の極刑、ボク個人は悔しかった。
 
そいつじゃ足りないからボクも殺してくれ・・
 
ボクにはそういう「死向回路」がいつまでもあるんだなぁ。
過去の現在のボクが味わった「死にたい・生きたい」数々の思い出が、また体温を帯びてきた。
やっぱり、生きるには・・行動=DO をしなければ。ねぇ。
ウツがひどい時は、「行動」こそ無理難題」であり、食事は生きるためだった。
 
睡眠・食事・大波小波・・・こんな単純な鼎義は、一般には物笑いである。
いつ寝るのか、いつ悩むのか。
しかし、それこそ大切な基本であるのだ。
 
頑張れ、ウツ人のみんな。
頑張れ、2審。