MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

うつ病にヒトは勝てるのか

波が大きいらしい。
タバコを受け付けない。
昨日はほぼ一日寝ていた。
ゴミ出しと洗濯物をたたんだのは憶えている。
帳尻あわせの大雪に、妻が非力ながらに頑張っていた。
服を着て除雪ダンプをかつぎだす。
手伝わない、という選択肢をボクは持たない。
寝ていれば良くなると云ううつ病はない。
もがいて、あがいて、身体にも心にも叫ばせるに任せる。
薬なんか効かなくて良い。
そんなに効かれてしまってはボクは怠けてしまう。
安定剤も眠剤も、副作用がないものはない。
副作用は副であって。主作用を信じる。
自分の、生きたいという、バカ正直な欲求を信じる。
 
 
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以前、少し見えていた物置はすっかり埋まっている。
子供らが物置の上で遊ぶ。
危ないかなとは思う。
危なくない生き方はない。
他人に迷惑をかけない範囲なら、全て信じて見ている。
ここのとこ雪が多い。
大雪を恨めしく思ったことはない。
 
「波」の表現は100人いれば100通りある。
ソレが希死につながる過程も100通り以上ある。
ボクは昨晩から、薄い仮面が何千とかぶさってきている感覚。
顔が重い。
反動をつけないと横を向けない感覚。
元々でかい顔が更に無体なぐらい大きく感じる。
テレビや冷蔵庫にぶち当たって倒れないか不安である。
玄関の前から横道を見て、通行人がなぜ避けないのか不思議になる?
そこにはETのように長い長いボクの顔があってジャマなはずである。
剣状突起の辺が痛くて痒くて重い。
多分エイリアンに見初められたのだろう。
チェストバスターが明日辺りに、胸を食い破ってきそうな、不安ではない確信がある。
痒み止めにキンカンを塗った。
このアンモニア臭なら出てくるのを躊躇するかもしれない。
ダメ押しでくっさい漢方を飲んだ。
加齢なる胃液に漢方の独特の香り。
エイリアンの幼生ぐらいなら、たまらん!となるはずである。
 
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ミュシャの絵を美しいと感じるのはヒトであるという。
他の動物は、距離を置き、威嚇をし、ストレスで狂うという。
脊椎動物なら漏れなくうつ病になるという。
脳幹と脊髄、遺伝子、全て条件が揃っていて、うつ病にならない方がおかしいらしい。
気付くか気付かないか、知るか知らないか、逃げるか向き合うか、大差はない。
巨大な数のラットやサルが、ヒトの新薬のためにうつ状態になり、更に負担を強いられている。
ヒトだけが苦しんでいるわけではない。
ヒトが治療に躍起になるのはヒトだからである。
戦意を喪失した野生の動物は、瞬間に喰われるから判らないだけである。
 
「治るのか治らないのか?」
 
そういう疑問に答えられるなら、うつ病や多くの病は問題にはならない。
病かどうかの定義すら曖昧で、病人と知らずに!??と苦しんでいるヒトは多い。
定義されたところで、治療法など手探り。
医師も薬も気休め。
治るか治らないか、そんなことは考えもしない・・ソレが病の病たるところである。
 
頭が自分のものじゃないみたいだ。
目が重い、何も見たくない、のに目を閉じても見えるのだ。
腕が、脚が、動くことを拒否する。脳は主導権を奪われてる。
食べたい寝たい、薬は効くか?
全てエラーになる。
天を仰いで笑うしかない。
 
ウツにヒトは勝てるのか?
ボクは乗り越えることしか考えていない。
負けた後を考えていては何もできない。
(無論、どうしよう、と、ともすれば倒れそうな自分への一喝でもある)
社会とかいう世界は、ウツ人など眼中にない。
ボクは、ウツを認めないヒトが周りにいたらスルーできる。
が、会社とか、そういう最小単位で高らかに「ウツになる奴は弱いからさ!」と勝ち誇るヒトはスルーできない。
 
うつ病に勝とう、などとはおこがましい。
うつも含めて、残念だが誇らしい自分自身なのだ。
ただ、共存するには少々振る舞いが気に食わない同居人ではある。
ハエが一匹いたとこで仕事も出来ない潔癖症では困る。
うつ病などたかだかハエである。
ただ、こっちより賢くて先の先を読んで罠を仕掛けるハエである。
例えであるから、除虫剤は効かない。
効いたとしてもシューッとしても多分逃げられる。
そして、「速ぇ~っっ!!」と呟いて自嘲するのである。